国字というのは和製の漢字をさすようになった。国語というのは国家の言葉と規定されたり、中央集権の言葉となって、イデオロギーを議論したりする。あるいはその影響で国語教育としての国語科目をさすようになった。国字国語ではなくて国語国字問題との謂いは言語政策にとらえるようになった国語問題であり、そこには国語の表記などが扱われてきた。日本語の文字である。ただ国語を意識として日本語そのものと考えるのは明治以降に限ったことではない。国字国語意識は和字の意識としてすでにあった。日本国がその時に意識されたかどうかであるが、大和国であったのだろうから、その国というのは日本そのものでもあった。その国字にどのような意識が働いていたか。国字国語とは、ただしくとらえるべきことがらである。近代のわたしたちのもののとらえかたが、それ以前にあった国字国語の意識を覆ってしまったようである。 . . . 本文を読む
ゆ党とあった。おもしろい言い方だ。癒着するからか。や、ゆ、よ、並べてみるとよくわかる。日経記事にあった。風見鶏。「ゆ党」の先行きを憂う、と題している。この言葉は、本来、揶揄である。記事の書き出しは、次である。>どんな選挙でも必ず野党に投票するという有権者がいる。権力は強すぎない方がよいと熟慮してそうする場合もあろうが、とにかく偉そうなやつが気にくわないという単なるすね者のことも少なくない。> 冒頭に記したタイプの有権者は既成勢力の仲間入りした新党にはもはや興味を示さない。飽きっぽい世間から忘れ去られないためにはどうすればよいか。一点突破で掲げた公約が実現するのが最もよいが、野党では手も足も出ない。そんなときに与党からお誘いが来るとついよろめいて……。表に示したように過去40年の主な新党のほとんどは自民党に合流した。その分析は、政治の力学なのか、ほかには、それこそ風見鶏か。 . . . 本文を読む
なのだ は、連語である。国語の説明に、断定の助動詞、だ または形容動詞の連体形活用語尾+助詞 の +断定の助動詞 だ と見える。話し言葉では、なんだ となることが多いと補足する。のだ は、んだ んです の用法などとともに、日本語教育での使い分けに説明がある。そして、 だ は、現代日本語における断定の助動詞の一つ。この、だ は、その派生において、古代語の、だ の意味を、現代の、の の意味ととらえる。語構成のその痕跡を言う、例えば、獣 けだもの は、毛のもの とする。たなひら たなうら たなごこころ は、掌 手の平、手の裏 てのこころ ということである。その説明に、ウイキペディアの曖昧さ回避ページには、>現代の中国語で日本語の「の」の意味を持つ「的」の発音は「だ」であり、起源は同じと考えられる。 と述べている。すると、的、的的、的的的 となるかの、だ のだ なのだ というのは、どのような語法、文法、はて文章法であろう。 . . . 本文を読む