現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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インタラクション

2016-07-23 | 日本語百科
interaction 交流する 相互作用 この語において、人の交流 文化の交流 このような表現が成立するかどうか インタラクションとカタカナ語にすれば、IT用語で、人間とシステムのやり取りとなる インタラクションは、やりとりのこと . . . 本文を読む

称賛はクジラを

2016-07-22 | しかじか
豚もおだてりゃ木に登る、という、日本のことわざに似ている、そうな、その本のタイトルは、称賛は鯨も踊らせる、とかである。本の出版がいつごろか、検索しても定かではない。2002年に韓国内で『称賛は鯨も踊らせる』という本が翻訳出版されたのが、ブログの記述にある。 >国では「称賛は鯨も踊らせる(칭찬은 고래도 춤추게 한다)」という有名なことわざがあります。 誰もが誰かに褒められると、自信も付くし、もっと頑張れるということですよね. >『称賛は鯨も踊らせる』(Ken Blanchard他 著) . . . 本文を読む

きなくさい、うさんくさい

2016-07-21 | 日本語百科
硝煙のにおいがする、火薬のにおいがする、きなくさいと言う。くさいは、におうことを意味する。戦争や何か物騒なことが起こりそうな気配を指し示している。北朝鮮は韓国にいる工作員向けか、暗号無線を再開し発信しているようだ。また、類語に、胡散臭いを上げると、どことなく怪しい。疑わしいということになる。油断ができない、うさんくさい人物と用いる。胡散はあやしいこと、胡乱 うろん。ここで、胡散、胡乱の胡字を見ると、えびす えみし である。えびすの表記には、夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須などがある。えびすさまは、七福神の一柱であるから、日本の神様は、この七福神はどれもこれも胡散であり胡乱であるとしたら、えびすだけは日本古来の唯一の福の神とあるが、この名の由来が気になるところ、外来の神とも説明がある。それこそ、胡散臭いのは、外来の神や渡来の神であるはずだが、客神や門客神や蕃神などといわれる神の一柱、戎様である。。 . . . 本文を読む

国語文法論、日本語文章論15

2016-07-20 | 日本語文章
日本語文法は形態文法をもって日本語の語基と接辞を分析し語の最小単位を音素レベルで明らかにした。仮名文字は音節レベルの便宜をもって国語文法で長く用いられていた。一方で、日本語に形態素を抽出したことは、言語分析に形態を明らかにして計算機械による分析など、多くの可能性を示し実現している。日本語文法形態論に語論を行い、文論を文章論へととらえることは、形態から統語への必然である。シンタクスは文法の視点で言語の現象の意味を問う。日本語文章論は文法論に日本語の文章にあらわされる意味を分析し明らかにする。文は思想をあらわすとした規定は、文章にこそ思想をあらわすとその規定を持つことになる。なぜなら、日本語の文は文章においてその意味の部分を担う要素であるからである。 . . . 本文を読む

国語文法論、日本語文章論14

2016-07-20 | 日本語文章
学校文法は語に文節をとらえた。いわく自立語と付属語が文節を構成し、その分節は語の単位であった。しかし文節はまた連文節を構成して、文節にさらに文の要素成文としての連文節を設定するものであった。連文節は句になり、さらには節になった。そん文節の単位に議論が展開しなかったのは文節の係り受けにこだわった議論が集中してきたからであり、それは主語か述語か、主部か述部かといった単位の取り方だけでなく、主語となる連文節、述語となる連文節に生産的な議論がおこらなかったためである。連体修飾節、連用修飾節は従属節として主節に対するが、連文節の機能には単位文の構造が援用されることがない。たとえば、次の節の解説は日本語で、どう読み取れるか。>節 clause とは、文を構成する、述語とその項からなるまとまりのことで、その中でも特に定形 finite のものだけを指す。>節は、文中での働きから名詞節、形容詞節、副詞節に分類される。また普通「節」と呼ぶ場合、従位接続詞に導かれた「従属節」(Dependent clause)のことを指すことが多いが、複文の中で、文の主たる要素を構成する節を「主節」(Independent clause)と呼ぶことがある。 . . . 本文を読む

易地則皆然

2016-07-20 | 斯く書く
易地則皆然 ちをかうればすなわちみなしかり デジタル大辞泉の解説 地(ち)を易(か)うれば皆然(しか)り 《「孟子」離婁下から》人は皆、地位や境遇が異なるので、その意見や行為も異なるが、立場を変えれば、することも一致する。 大辞林 第三版の解説 ちをかうればみなしかり【地を易うれば皆然り】 〔孟子 離婁下〕 人の言動に違いがあるのは立場に違いがあるからで,立場を変えれば同じになる。 h . . . 本文を読む

易地思之の知恵

2016-07-19 | ほんとうのところは
易地思之の知恵、相手の立場になって考えてみたら合意点を見つけることができる、ということ。>もう一つの「易地思之」についてなのですが、韓国語では역지사지(ヨクチサジ)と表記され、日本語に翻訳されると「立場を変えて考えること」や「相手の身になって思うこと」といった意味になります。 要するに相手の立場に立って物事を考える事で問題を解決するという概念となるわけであり、韓国でもそのような意味で通ってはいるのですが、現実には韓国人が「相手の立場に立って考える」という事は殆どありません。 なぜなら、彼らは主観的正しさによって自らは絶対的に正しく正義であると考えているので、この「易地思之」という単語は実質「相手は常にこちらの身になって考え、こちらの事情を考慮しないといけない」という意味で使われるからです。 つまり実質的な易地思之の用法とは、「問題のある間違った側が、何の問題も無い正しい側の事情を考えを受け入れるべき」と言い換えることもできます。 勿論この「間違っている・正しい」の判断は彼らの主観によって全てが決まります。http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar853198 . . . 本文を読む

国語文法論、日本語文章論13

2016-07-19 | 日本語文章
国語文法論を国語と、日本語文章論を日本語とするのは、国語は文法論で議論があり、日本語は文章論で議論するのがよいとする立場である。国語も日本語もわたしたちにとってのひとつの言語であるから、国語文法論を含めて日本語文章論とすることもできる。日本語文法文章論としての議論であるが、文法論が文を扱い、文章論が文章を扱うならば、同じ文法であって文と文章を取り上げてその範疇に議論をすることである。日本語文法単位体をもとにすれば、そのそれぞれの論には、形態論があり、語論があり、句論があり、節論があり、文論があり、段落論があり、文章論がある。この段落に文章を設定し文章論とすることで、文章作品の単位をとることができる。 . . . 本文を読む

国語文法論、日本語文章論12

2016-07-18 | 日本語文章
文が開かれた単位であり、文章が閉じられた単位であるとするのは、文法論の便宜である。言語の現象は常に、この喩えを用いるならば、開かれている、大海にたたえられた言葉である。そこにうちよせる波は風波ともあって、その波のラインは文のようである。波は続き、切れ、また続いては切れる。さて、その文が開かれているとするのは、言語に主体客体とを合一する現象を見るときに、その表現に見える主語述語を一体とするあらわし方と、主語述語を一体とするのを、体用の現象とみる表し方の違いにある。主語に文を統括する働きがあるのを、その述語との結びつきが述語と関係するほかの語よりも、主語が最優先であるとする捉え方に対して、体用の現象には必ずしも主語との結びつきをしめざず、いうところの目的語また客語との一体である。したがって、主語を結びつきに絶対とするのに、主語との結びつきに相対のひとつであると考え方であるから、閉じた体系となる主述語に、開かれた体系の体用の現象である。文が閉じた関係構成ならば、文章もまた閉じた関係構成であるので、日本語の文の閉じた関係を超えた特徴を見出そうとする . . . 本文を読む