川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

北追岬は・・・国後島を向いている。雲の砦も意味深い。

2011年02月09日 | 川柳

 世界的な彫刻家でもある、 流 政之氏の作品と「生き様」が好きだ。

          偶然に3度お逢いする「幸」を得た。

3度目は5年ほど前、大沼国定公園の中にある、流作品を鑑賞しながら

     森の一角を散策していた8月15日の昼下がり。

夫が「流先生来るかもしれないよ!」と突然言い出した。

「確かに・・・お盆休みは、先生は奥尻が大好きだから

                           ・・・自分の作品の様子を見に来るかもね!」

と、たわごとのように言いながら5分ほどして振り返ると、なんとそこに

・・・流先生と某市長ご夫妻がこちらに向かって歩いてきた。

夫は、さほどびっくりもせず・・・「やっぱり・・・来たんだ!」と、嬉し顔。

            私より、夫の方が流先生ファン。

日本の画壇に背を向け、アメリカに渡り今はない、ワールドトレードセンターの

        大作「雲の砦」を作り、

次々と「日本のおとこ魂」を世界に発信し続けられました。

雲の砦の上に世界貿易センターが立っていたのだから

私の感想では、特攻隊の墓地を作ったのではないだろうか?

芸術鑑賞は「勝手に感じればそれでよい。芸術家は所詮芸者で、

画商は女衒だ」という氏の語録がある。・・・言えてる。

    日本人の矜持と尊厳を、時にはアメリカをうがちながらも、

   当時世界に発信できずにいた国内の彫刻家を横目に

   どんどん世界へ進出された日本アカデミーのフロンティア

              としてファンなのです。

当時の日本彫刻は、世界へ目を向けていても、

          氏のように「日本」そのものを、

    世界に発信された先見性の高い行動力が・・・超人的です。

            特攻隊の生き残りでもあり、

          自分に水杯が回って来なかった

               その裏事情

          ご自身が・・・生き残るも

      ・・・地獄の思いだった苦悩と祈りが

      生涯に亘って全作品を貫いています。

「大和魂は・負けてなんぞいない!アメリカよ!」

        そんな声さえ聞こえる・・作品が多々あります。

       特に私は、ソリとバチの作品が好きです!(発想が)  

     また、作品の題名がとても、川柳的でもあります。

 ところで、実は夫はとんでもない人で、流先生に初めてお逢いした時、

握手をしていただきながら放ッた言葉が「せんせい・・・手が柔らかいですねー

       ・・・石より女性のお尻の方を触った手ですねー!」と、

        感じたまま言ったもんだ・・・来たもんだ。

     (確かに、作品作りは・・・石工さんの仕事です。)

     普通であれば・・・中途半端なアカデミックな方なら

              ・・・憤慨されるのに

               さすがに、偉人。

      「実は・・・そうなんだ!」とのお答え。

              ・・・えらい!

   夫いわく・・・世界の名士から絶賛・賞賛を受けた方なのだから

         ・・・俗な会話がわかる人なのだよ。

  これで、怒ったりしたら・・・僕はたいした人ではないと思うのさ。

       (なーるほど。。。俗でない方には・・・俗で関わる。)

それから、3度目にお逢いした時も、「君のことは良く覚えているよ!」と、

            夫は又、握手していただいた。

私は私で、初めてお逢いした時、自己紹介で「ホームレスの○○でございます。

よろしくお願いします・・・」と、自称名士と呼ばれる方々を前に

                      ・・・ほのかな冗談を言ってしまった。

「世間のかすみをを食べて生きています。」・・・。

                 (商売人って・・・そんなものだ。)

内心、アメリカや世界の財界、政界の方々と交流のある方が、

一地方のおばさんなど、どーってことはないのだから

       ・・・ホームレスの方がはくが付くというもの(笑)

  その後、元日経新聞の部長さんと、流先生とずーと話詰め。

「ところでさー・・・君は、ホームレスで・・・どうしてカスミを食べて

            そんなに太っているの?」と、

    流先生も愉快な言葉のさやをこちらに向けてきた。

「先生、実はですねー・・・カスミといいましても、現代のカスミはとってもカロリーが

高いのでございます!」と、答え、三人で食事をしながら大笑い。

 次の年お逢いした時、先生は紫色の画集にサインをなさって、私だけに

「やるよ!」と言われ、ありがたくその画集を

          ・・・仏壇の横に収めてあります。

        この奥尻の流彫刻「北追岬」

 ロシアから国後島を追われ、奥尻に移住した方々が

たくさんいらっしゃる事は案外知られてはいない。

私の後輩が、亡くなったバーちゃんは国後から来たと言います。

お知り合いの根室に住むアイヌの方々は、

   「私の祖先は千島アイヌなのだから

        アイヌに島を返還せよ!」と、運動をしています。

土足で実行支配をして、日本人が住んでいた千島列島を

            不正義に追い出したのは

           ロシアだ!

「今ロシアの島民が住んでいますから・・・」無理な事もできない・・・と言うのは

                    お門違い!

「北追岬」除幕式の時には、奥尻島民の皆様が「おおおおおお」・・・と、

                 唸りにも似た声を発したと言う。

ロシアの卑劣なやり方は、憲政ロシアの歴史にまた、馬鹿を塗り足したようなものだ。

     信用できない国とは、距離を置きながら・・・付き合うものです。

「いくらなら・・・島を売ってくれるか。。。」言い出したのは、

                   渦中のおざわ・・・だという。

なんでもお金で始末するから・・・値踏みして・・・こういうことになるんでしょうが!

         流先生ならなんとしよう・・・

        せめて、サキモリ(防人)の、彫刻を置いて見たい!

 もしかして、・・・流先生は置きたくて・・・疼いているのではないだろうか。。。

もし、国後や択捉で生活していたら・・・南西沖地震の被害者にもならなかった

                   かもしれない。

               いろいろ、考えさせられる。

     まともな国でない国との交渉なんて・・・交渉と呼ぶのかな?

       北海道奥尻 北追岬公園

写真:北追岬     国後の方向を向いている。
北追岬
写真:回天が原 写真:防人
回天が原 防人
写真:神威流 写真:はぐれ鳥
神威流 はぐれ

彫刻家流政之氏の作品が建立されています。散策路が設置されており、キャンプ場適地でもあります。
この北追岬のある神威脇に、北方領土祖先の切り開いた国後島を追われた住民が昭和21年に入植しました。戦争により、北方の島を負われた人たちは、数十年間望郷の念にかられながら亡くなった人、今だ帰らぬ北方領土に少しでも近づいていたい想いで他の地域へ移っていった人、そうした人たちの望郷の思いは、一部の住民のものだけでなく、島全体の願いでもありました。そうした願いが一人の芸術家の心をとらえ、「北追岬」という石彫が完成しました。

 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/northern_territories/?1297057556

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