信州・安曇野や松本平へ行くと、道路端のあちこちで双体の道祖神を見ることができます。ところが、水戸では、道祖神をめったに見ることはありません(道祖神社は少しありますが)。こうした、数が少ないということも、水戸の特長の一つなのでしょう。
また、蹴上げ観音や三尊像、鬼子母神などは、何か特殊な信仰があってつくられたものなのでしょう。そうした理由を想像しながらながめるのも面白いものです。
双体道祖神(中丸町 中丸バス停近く)
ぶらっと歩きをしていて、水戸には道祖神が少ないと感じました。まして双体の道祖神は。もう一つ、堀町の個人宅に昭和56年につくられた双体の道祖神があるそうですが、古いものはまだこれだけしか見ていません。女神が徳利の酒を男神の杯にそそぐ像で、安永3年(1774)の銘があるそうです。
石像三尊像(観音寺跡(吉沼町))
これも、水戸ではまだここでしか見たことがない、三尊仏石碑です。「各屋百日惣供養」とありますから、ていねいな祭式が行われたのでしょう。宝永6年(1709)ともあります。
蹴上げ観音(神応寺(元山町1-2-64))
落ちてきた雷を左足で蹴り上げたという伝説を持つ木彫の観音だそうで、右足が少し上がった形で彫られているそうです。
鳥居のある小祠(白旗神社(平須町))
白旗神社の境内にある小さな社(やしろ)で、祭神はわかりませんでしたが、社前には小さな鳥居が建てられています。鳥居まである小さな社はめったにありません。
鬼子母神(熱田神社(吉沢町))
インドから渡ってきた訶利帝母(かりていも)と呼ばれる女神だそうです。改心前は他人の子どもを食べていたそうですが、お釈迦様に千人いた彼女の子の一人を隠されたことによって改心し、その後、出産・育児の神となったそうです。右手にざくろを持ち、左手に子どもを抱いています。天明2年(1782)とあります。講中十八人とありますが、多分講員は女性でしょう。