古い石碑やお墓には、見なれた漢字とは違う、数多くの異体字が使われています。目についたものを少し並べてみます。
異数(金谷町36°22'35.6"N 140°23'04.1"Eあたり)
墓地の中にある忠魂碑で見た「異」も「数」も異体字です。「數」という活字はありますがそれとも違う字体です。
京(稽医館(けいいかん)碑拓本 水戸市立博物館 大町3-3-20)
小川村(現・小美玉市)にあった稽医館の碑にある「右京亮(うきょうのすけ 役職名)」の字です。京の「口」が「日」になり、亮の口の部分も少し違っています。水戸藩藩校の先駆となった稽医館は、医師・本間玄琢が開設した郷医の研究機関だそうです。
橋(常磐共有墓地・水戸殉難志士の墓2区 松本町13-34)
水戸藩殉難志士・舟橋清七郎のお墓です。「橋」の「呑」が「右」になっています。
山(香取神社 大串町496)
月山・羽黒山・湯殿山の三山参拝記念の碑です。山の異体字が2種類使われています。
奈(酒門共有墓地 酒門町330)
江戸時代末期生まれのジャーナリスト・朝比奈知泉の墓にある奈の異体字です。
便(内原駅南側広場内)
昭和9年に建てられた、内原郵便局電話創設記念碑にある「便」の異字体です。以前は電話の運用を郵便局が行っていたようです。
奉(千波町179-5)
文久2年(1862)に「千波町の祠」(グーグルマップ)へ奉納された手水鉢です。「奉」が目立つ異字体になっています。神社は稲荷のようです。