斉昭(9代水戸藩主)
戸田忠敞(ただあきら 忠大夫、蓬軒(ほうけん))墓(酒門共有墓地 酒門町330)の題字です。執政となり、徳川斉昭の藩政を支えて、藤田東湖と共に両田といわれた人だそうです。安政大地震で死去したそうですが、この地震で、藤田東湖も死去したため、斉昭は両腕を失った気持ちだったでしょう。碑の撰文は豊田天功で、題字は斉昭だそうです。「旌忠(せいちゅう)之碑」とあります。旌忠(せいちゅう)は、忠義をあらわすといった意味のようです。
斉昭(9代水戸藩主)
藤田東湖墓(常磐共有墓地 松本町13-34)です。「表誠之碑」とあるようです。東湖は藤田幽谷の子で、斉昭の藩政改革の中心人物だったようですが、安政大地震で死去したそうです。青山延光の撰文で、斉昭の題字だそうです。
慶喜(斉昭7男 15代将軍)
栗田寛墓(六地蔵寺 六反田町767)です。「継往開来(昔を受け継いで未来を開くといった意味のようです)」とあるそうです。栗田寛は、明治になって、大日本史をほぼ完成させた国学者だそうです。内藤耻叟(ちそう)の撰文で、題字が慶喜だそうです。
昭武(11代水戸藩主、慶喜弟)
遺徳之碑(偕楽園 常盤町1-3-3)です。碑の関新平は、6代茨城県知事で、水戸城火災で嫌疑をかけられた士族を救ったり、明治維新で失職した士族のために尽力して、不安定だった水戸の政情を正常化する努力をした人だそうで、そうしたことを顕彰した碑のようです。儒家・手塚悳進の撰文で、昭武の題字だそうです。
篤敬(水戸徳川家12代、慶篤長男)
写真は鉄道之碑(水戸駅北口 宮町36°22'17.4"N 140°28'36.1"Eあたり)です。明治22年小山-水戸間約67kmの水戸鉄道が開通し、明治25年には日本鉄道がそれを引き継いだそうです。明治30年に、篤敬の題字、儒家・手塚悳進の撰文で建碑されたようです。元の碑は、駅の発展と共に移動したり、戦火にあったりして、今の碑は戦後に復元されたもののようです。