現地へ行かないで、参拝の対象に向かって参拝したり、神事をおこなったりすることを遙拝(ようはい)といい、その場所を遙拝所というようです。水戸では、今のところ、3個所でその碑を見かけました。どれも、旧・常澄(つねずみ)村だったところです。
伊勢神宮遙拝所(稲荷神社 大串町2251)
境内には伊勢大神楽の碑がいくつも建てられていますが、その中に、遙拝所の碑がありました。見晴らしのいい場所ではありませんので、方向を定めて礼拝を行ったのでしょう。裏に、「明治十四年辛巳(しんし)正月 結伴西上 詣伊勢神宮 奏大々神楽 爾後設遙拝所於此(皆で西に向かい、明治14年に伊勢神宮に詣でて、太々神楽を奉納し、その後この地に遙拝所を設けたといったことなのでしょう)」などとあるようです。
伊勢神宮遙拝所(下入野36°18'55.2"N 140°31'17.2"Eあたり)
道路に面した高台にあります。ここなら、もちろん見えないでしょうが、はるかにその方向を眺めるということはできたのでしょう。碑の下部の最期に、「明治二十六年(1893)一月一日建設」と建てた個人名が彫られ、その右側に、「天保十二年(1841)丑六月大(?)拝」を先頭に18名のそれ以降の年号が彫られた人名が並んでいます。50年も遡って、遙拝した人たちの名前を並べたというこなのでしょうか。もしそうなら、江戸時代からここには遙拝の習慣があったことになります。
月山 羽黒山 湯殿山 遙拝(薬師堂 下大野町36°21'03.3"N 140°32'41.5"Eあたり)
「明治二十五年辰建之(これをたつ)」とあります。水戸に霊場が近いせいか、出羽三山の記念碑も伊勢参宮碑同様、よく見られるようです。こうしてみると、水戸にある3つの遙拝碑は、全部明治以降に建てられたようです。また、ここには、「伊勢参拝紀念」碑や、「奉納西国三十三所供養塔」などがあります。
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