たぶん、多くは鄕士や農民の名前なのだろうと思うのですが、「改訂水戸の町名」を見ると、水戸各地に「有名人」が小字の地名になっているところがあるようです。以下は、二人しかどのような人なのかわかりませんが、人名が小字名になったらしい例です。
小五郎塚(飯富)
水戸城主だった江戸重通(しげみち)の長男・小五郎が、天正16年(1588)におこった、江戸氏の重臣・神生(かのう)氏による「神生の乱」で死去したそうです。それを弔って,小五郎塚が建てられたようですが、そのあたりが小字名になったようです。現在、山王墓地に小太郎塚といわれる地蔵(36°25'45.5"N 140°24'39.6"Eあたり)が建っています。この乱の結果、江戸氏の支配力は衰えたそうです。写真は山王墓地にある小五郎塚です。
嘉エ門屋敷、嘉平屋敷(木葉下(あぼっけ))
大字・木葉下の内で、同じ「嘉」の字がついているので、親戚だったのかもしれません。
九郎田(くろうた 下国井)
藤井には九郎次という小字もあるようです。昔は子だくさんだったということも語っているのでしょうか。でも大人になれた子どもは少なかったことでしょう。九郎田は、九郎が開発した田んぼという意味なのでしょう。
五太郎(見川)
太郎は丈夫に生きるという意味もあるようなので、五番目の太郎という意味の名前なのでしょうか。珍しい名前なのでしょうから、当然、珍しい地名なのでしょう。
三四郎後(吉沼)
夏目漱石の「三四郎」を思わせる名前ですが、珍しい名前だったのでは。その屋敷の後にある地ということなのでしょう。水戸では塙三三郎(はなわさんざぶろう)という幕末明治に大きな商売をした人もいたようですが、その名前は地名になっていないようです。
梅香下、下梅香(旧・常盤村)
梅香という地名は、水戸城主だった佐竹義宣(よしのぶ)の臣下・岡本禅哲(梅香斎)の号からきているようです。梅の好きだった岡本は旧・奈良屋町あたりに住んで、邸内に梅をたくさん植えたようです。後に、徳川斉昭が残った1本の古木に名付けたという「先春梅記」という碑(現在、弘道館で拓本が展示されています)もあったそうです。写真は現在の梅香あたりの地図表示板です。
弥惣太(やそうた 田谷)
文字はそれぞれ、「弥」はいよいよ、「惣」は全体、「太」は大きい、太郎の太といった意味でしょうから、吉祥の文字として名前に使われたのでしょう。その弥惣太は、経世に明るい人だったのでしょうか。
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