忠魂塔(回天神社 松本町13-33)
昭和8年に、幕末水戸藩志士の忠魂を祀るために、室田義文が建てた石塔だそうです。「忠魂塔」の字を徳川圀順(くにゆき 水戸徳川家9代徳川斉昭のひ孫で13代当主)が書いているそうです。この碑を基にして、昭和44年に回天神社が建立されたそうです。脇に徳富蘇峰が書いた由来碑があります。
五町矢場遺跡碑(若宮町 36°22'44.2"N 140°30'03.6"Eあたり)
昭和11年に建立された五町矢場の跡を記す碑だそうです。題字は「練武」となっていて、圀順の号・涛山(とうざん)が刻されています。神勢館と五町矢場は斉昭がつくった銃砲の製作所と射撃場で、神勢館は安政元年(1854)に開場したそうです。幕末の争乱で焼けてしまい、焼け残った射撃場の跡も昭和26年に洪水対策等の河川整備でなくなったそうです。
吉田神社並に朝日三角山由緒の碑(吉田神社 宮内町ちょう3193-2)
昭和17年に建立されたそうです。碑文は大内猪之介が撰したそうで、吉田神社と三角山の説明が書かれています。題字は「敬神」とあり、圀順の書のようです。上の碑や水戸八幡の碑もそうですが、「源(みなもとの)圀順印」が彫られています。三角山の向かって左裏にあります。
昭和天皇御製碑(水戸城二の丸 36°22'29.2"N 140°28'43.8"Eあたり)
戦後、昭和21年11月に昭和天皇の行幸があり、翌年の歌会始で詠まれた「たのもしく よはあけそめぬ 水戸の町 うつつちおとも たかくきこえて」の歌が、昭和23年に石碑として建てられたそうです。碑文全体を圀順が書いているそうです。大手門をくぐって右手にあります。
大工町水天宮遷座記念碑(水戸八幡宮 八幡町8-54)
昭和31年に建てられたそうで、題字は「敬神」とあり、圀順の筆だそうです。明治6年に海上で遭難しかけた加藤金吾という人が水天宮を祈って助かったことに感謝して自宅に祀った神社が初めで、最終的に水戸八幡宮へ戦災がきっかけで遷されたそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます