和歌(水戸市立博物館 大町3-3-20)
天保14年(1843)に秋の暑さに天守楼にのぼり、「立おほふ 雲吹はれて 千早振(ちはやぶる) しなとの神の めくみともかな」(空を覆う雲を払うしなとの神という風の神の恵みが欲しいものだ)と詠んだ歌のようです。写真左が和歌で、その右下に斉昭とあるようです。たぶんこの書の字体が斉昭のふだん書くスタイルのような気がします。
扁額(好文亭3階楽寿楼軒 常磐町1-3-3)
好文亭の3階を楽寿楼というそうです。論語の「智者楽、仁者寿」からとったそうですが、「楽」は水を、「寿」は山を意味して、それも楽しむことのできる場ということのようです。写真左の中央に斉昭の号景山がみえます。
茶対円額(好文亭茶室何陋庵(かろうあん)の待合 常磐町1-3-3)
茶対は、茶についての問いに対する答えという意味だそうです。5行目中あたりから「その交わりは睦にして礼、しばしば会して費やさず、よく楽しんで奢らざる」といったことが書かれているそうです。
巧詐不如拙誠(こうさはせっせいにしかず)額(好文亭茶室何陋庵の待合 常磐町1-3-3)
巧詐(こうさ 巧みに飾ってだます)は拙誠(せっせい 洗練されていない誠実)にはおよばないという意味で、篆書(てんしょ)で書かれているようです。待合は薄暗いので、額はよく見えません。
種梅碑(弘道館公園八卦堂脇 三の丸1-6)
「それ梅のものたるや、華(はな)は則(すなわ)ち雪を冒(おか)して春に先立ち風騒(ふうそう 詩文を作ること)の友となり、実は則ち酸を含み渇を止めて軍旅の用となる」などとあるそうです。題字は篆書で、碑文は隷書(れいしょ)で書かれているのでしょう。斉昭は偕楽園開園の10年前から梅を植えて準備していったそうです。碑は天保14年(1843)に建てられたそうです。写真は弘道館にある拓本です。
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