ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の三角(2)

2017-02-23 20:29:13 | 水戸

三角田バス停(吉沼町)
 吉沼町にある吉沼観音堂跡近くの県道174号線に、三角田という茨城交通のバス停があります。これは吉沼の小字(こあざ)で、「みすみだ」と読むのだそうですが、かつて、特徴的な三角形の田があったのでしょうか。

 

烈公御涼所碑(水戸市八幡町8-54 水戸八幡)
 徳川斉昭(烈公)が、涼んだという眺めの良い高台にある三角形の石碑です。元日にはここから初日の出が見られ、「初日出御来光清祓式」が行われるそうです。

 

ケネス・D・フロスト顕彰碑(備前町6-59 国際交流センター)
 戦後、占領司令部の地方部門、茨城軍政部に勤務し、退役後、茨城大学などで30年間にわたって英語や英文学を講義し、自伝的小説ザ・ヤンキー・サムライを出版したケネスを顕彰した碑だそうです。勲四等瑞宝章が授与され、水戸で亡くなったそうです。

 

常澄村記念塔(大串町2134 水戸市常澄出張所)
 平成4年に水戸市に合併した常澄村の記念碑だそうです。碑の基部には、平成4年1月1日現在の村、議会、区長、農業委員などの名前がずらりと並んでいて、なくなった村のよい資料となっているようです。丸と三角を組み合わせた碑です。

 

火の見(見川3-650)
 「紙と木でできた」日本の民家は、火災には非常に弱く、それだけに色々な対策が図られ、火の見もその一つだったようです。明治後期には江戸以来の木造から、鉄製に変わったようです。4本足が一般的ですが、スカイツリーのような3本足もあります。3本足の火の見は、比較的すらりとした直線的なものが多いようです。

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水戸の渡し(2)

2017-02-22 22:00:47 | 水戸

 かつて、運搬できる量ということを考えると、船が一番効率がよかったようで、江戸時代、水路は相当利用されていたようです。
 歩くという時間感覚は散歩でわかりますが、渡しは、現在なかなか経験することができないために実感としてよくわかりません。なにかの機会に渡しのイベントがあると面白いでしょう。

 

杉山通り沿い発着所
 杉山通り沿いの那珂川に「汽舟発着所」があったようです。まだこの頃は、船による人や物品の輸送は大事なものだったようです。水府橋は昭和7年のできたものですから、まだこのころはありません。写真は大正4年の水戸地図です。

 

三九郎河岸
 旧桜川の那珂川と合流するところにできた河岸で、これは人よりも荷物が中心だったようです。この天保の地図の左側にある揚場(あげば)は、杉山坂から城内に荷物を入れる、藩の重要な河岸だったようです。

 

吉沼の渡し
 那珂川にかかる勝田橋のすこし下流に、昭和11年まであった渡しだそうです。現在の地図上にある川向こうの道から見て、このあたりが渡しではないかと思いました。写真奥は勝田橋です。

 

島の渡し
 大場町の涸沼川にかかっている大貫橋左岸少し下流にあります。

 

平戸渡船場
 現在涸沼川にかかっている平戸橋あたりだったようです。幕末の騒乱で、この渡しを使って松平頼徳らは軍を水戸へ進めたそうです。

水戸の渡し(1)

 

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水戸のイベント(1)

2017-02-21 22:11:33 | 水戸

水戸の梅まつり  H29.02.18-03.31
 今年で121回になるという、長寿で、大規模なイベントです。昔から偕楽園は、全国から多くの人を引きつけてきた場だったようです。みとちゃんお誕生会、ひな流し、茶会、芸能祭など、連日次々と色々な行事が行われているようです。写真は梅まつり初日です。

 

水戸黄門まつり H28.08.05-07
 去年で56回になったイベントだそうで、千波湖の花火、神輿渡御(みこしよぎょ)や山車(だし)の巡行、また、上市、下市で色々な行事が行われたそうです。写真は山車の巡行です。前身は七夕まつりだそうです。

 

水戸まちなかフェスタ  H28.09.25
 水戸駅北口あたりから大工町にかけて道路を開放して、今後の水戸の復興と、まちのにぎわいをめざした新しいイベントのようです。新しい流れを取り込んで、今を体感、体験できるイベントとなっているようで、かなり成功しているようです。

 

水戸市産業祭 H28.11.20
 去年で41回になる商工業者と農業関係者が一体となって三の丸広場で行われる産業祭です。特に、農産物共進会に並べられた農産物は圧巻でした。同日に、次のイベントもおこなわれていました。写真は、農産物共進会会場です。

 

商業祭水戸市商店会感謝フェスティバル  H28.11.20
 水戸芸術館広場を利用して、商店連合会の主催で、各店が趣向をこらした販売がおこなわれたり、ステージでは色々なパフォーマンスが披露されたようです。

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ぶらっと歩きの風景(6)

2017-02-20 20:57:07 | 水戸

ひょうたんランプ(弘道館鹿島神社社務所 三の丸1-6-4)
 ひょうたんランプ、つるしびな展示場です。多分梅まつりの期間中は開催しているのでしょう。今日見てきた中で一番よかったと見学の人がいっていました。一見にあたいします。ちなみに無料です。

 

バス倉庫(飯富町)
 キャブスターが倉庫に使われていました。屋根がつけられ、防銹ペンキも塗ってありますので、相当の期間、使えそうです。

 

 

アンネのバラ(左:千波中学校 元吉田町599-2 右:見川小学校 見川2-96-3)
 アンネ・フランクの父の賛同を得て、アンネの形見として名づけられたバラだそうです。見川小学校のバラは去年撮ったものです。

 

如意輪観音に首(大串町延命地蔵尊)
 どういういきさつでこうなったかわかりませんが、観音の上に地蔵の頭がコンクリートでつけられています。よだれかけがあるのでそれほどの違和感はありません。

 

道路にはみ出した木(泉町)
 多分長期間居住者がいないためにこうなったのでしょう。塀も木のために倒れかかっています。散策してのお花見にはよいポイントになりそうです。

ぶらっと歩きの風景(5)

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水戸の鹿島神社(1)

2017-02-19 23:00:46 | 水戸

 雷神や武神である、武甕槌神(たけみかづちのかみ)をまつる神社だそうです。関東、東北に多くある神社だそうで、多くは、鹿嶋市にある鹿島神社を勧請したもののようです。武士の時代、富国強兵の時代には、多く崇敬されてきたようです。昭和48年に神社庁が発行した「茨城県神社誌」を見ると、水戸市内にある神社は、74社がとりあげられていて、その内11社が鹿島神社で最多です。

 

弘道館 鹿島神社(三の丸1-6-4)
 徳川斉昭が、弘道館に、文武不岐、神儒一致をあらわすように、武の鹿島神社(鹿嶋市の鹿島神社から分霊)と、文の孔子廟を建てたようです。弘道館は一旦、天保12年(1841)に仮開館して、これらの施設ができてはじめて安政4年(1857)に本開館したそうです。  水戸の梅の話題(1)

 

飯島町鹿島神社(飯島町734)
 塩街道に面した地にあり、社殿は古墳の上にあるそうです。初午(はつうま)にはやぶさめ神事がおこなわれ、新嘗祭には竹に酒をいれて境内各社に供えたそうです。

 

渋井町鹿島神社
 戦前、例祭には、翌年の豊凶を占うやぶさめ神事が行われていたそうです。

 

田野町鹿島神社(市民運動場隣)
 応永8年(1401)に鹿島市の鹿島神社からから分霊したそうです。その後、徳川光圀が八竜神社を合祀したそうです。

 

成沢町鹿島神社
 廃社になっていたそうですが、安政4年(1857)に斉昭が再建し、自ら扁額をかき、太刀一振を奉納したそうです。藤田東湖筆の幟があるそうです。

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