立浪町(たつなみちょう)
城東4-3-14先歩道
寛永2年(1625)ごろに開かれた武家屋敷地だそうですが、すぐ北に那珂川がありますので、それから名付けられたのでしょう。那珂川だけでなく、そこへ流入する桜川の河口も以前はすぐ近くにありましたので、洪水の多い地だったようです。
藤坂町(ふじさかちょう)
五軒町3-2-61(大成学園)敷地内
町の北に富士坂(藤山坂)があり、その近くに富士権現があったことが町名の由来となったそうです。元禄3年(1690)には冨士山町と名付けられたそうです。
鳥見町(とりみちょう)
泉町3-1-10先歩道
藩政の初期から、鷹狩りに使用される鷹場を見まわることを仕事とする鳥見衆が住んでいたことから呼ばれるようになったそうです。
向井町(むかいちょう)
大工町2-1-20先歩道(国道50号側)
外堀(西の谷)のできた寛永15年(1638)以後につくられた町で、堀の向こう側に泉町、大工町があることから向町と名付けられたそうです。火事が多発したため、元禄3年(1690)に、防火の意をこめて、「井」の字を加えて、向井町としたそうです。
橦木町(しゅもくちょう)
撞木町 五軒町3-6先北東角(駐車場)
藩政初期に武家屋敷になったそうで、元禄3年(1690)から撞木辻(しゅもくつじ)と呼ばれるようになったそうです。町の形が、鐘を撞(つ)く撞木の形をしていたことに由来する町名だそうです。
住所は旧町名石碑のある場所です。 水戸の町名(1)