ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の灯籠(3)

2019-10-21 21:11:09 | 水戸
 年号の分かる灯籠を選んでみました。見たうちでは、妙雲寺の灯籠が一番古いようで、次が東照宮にある徳川頼房奉納という慶安4年(1651)の銅製灯籠のようです。
 
 
 
 
正保3年(1646)(妙雲寺 見川2-103)
 位が高い人の墓前に置かれた灯籠のようです。妙雲寺には、光圀の妹・菊姫の夫である松平駿河守康兼や、光圀の傳役(養育係)・小野言員(ときかず)などの墓があります。
 
 
 

安永7年(1778)(吉田神社 宮内町3193-2)
 この灯籠は正面階段の登り口付近にあります。その手前には、火袋から上がなくなっている、文政3年(1830)の大灯籠もあります。
 
 
 

天明8年(1788)(稲荷神社 加倉井)
 竿に「奉上」と年号が刻まれています。これも火袋がなくなっていて、宝珠はまにあわせのようです。国道51号線の加倉井信号の脇にある稲荷神社にあります。
 
 
 

享和3年(1803)(吉田神社 下入野町1352)
 永代常夜灯と書かれていて、宝珠にこった意匠が見られます。石段をのぼった所にあります。
 
 
 

天保5年(1822)(鹿島香取神社 青柳町434)
 だいぶ剥落が進んでいて、文字は見えなくなりそうです。これも火袋がこわれたようで、間に合わせの修理がされているようです。
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水戸の詩歌句碑(5)

2019-10-20 20:34:15 | 水戸
 
田植え歌御名号碑(真仏寺 飯富町3427)
五劫思惟(ごこうしゅい)の苗代(なわしろ)に
兆載永劫(ちょうさいようごう)の代(しろ)をして
一念帰命(きみょう)の種をおろし
自力雑行(じりきぞうぎょう)の草をとり
念々相続の水を流し
往生の秋になりぬれば
この実とるこそ嬉しけれ
 建保6年(1218)に、真仏寺の開基・大部平太郎(真仏)が親鸞を招いて百日の説法を行ったとき、田植えの季節のために、だれも来なかったそうです。そこで親鸞は自ら田にはいって田植えを手伝いながら、この歌で稲の田植えから収穫までに例えて仏の道を説いたそうです。碑の通りに書きましたが、歌や読み方が違うものもあるようです。
 
 
 
 
光圀詩碑(祇園寺 八幡町11-69)
恭詣越師墳墓前(つつしんで心越師の墳墓の前にもうでて)
叫天打地欲驚眠(天に叫び地を打って師の眠りをおどろかさんと欲す)
一朝挑起法灯火(一朝法灯の火をかかげて)
照破東方万八千(師は東方日本の四方八方を照らしてくれた)
 心越をいたむ詩です。勝手な解釈の読み方ですが、違っていたら申しわけありません。
 
 
 
 
徳川吉子和歌碑(弘道館  三の丸1-6-29)
天さかるひなにはあれどさくら花 雲のうへまで さき匂はなむ
 徳川斉昭の妻・吉子が嫁入りのときに持ちきたった桜のひともとを弘道館の吏員・小沢敏行が自宅で育てて花を咲かせたので、それを愛でて吉子が詠んだ歌だそうです。
 
 
 
 
宮沢賢治碑(蓮乗寺 元吉田町2705)
 雨ニモマケズの歌碑です。宮沢賢治は日蓮宗の信者だったので、同じ日蓮宗の蓮乗寺が、その縁もあって建てたのでしょう。
 
 
 
 
石鼎句(光台寺 上水戸3-1-39)
この碑建つ 折しも花の頃なりし
 墓の裏側に刻まれた原石鼎の句です。この墓の故人は、石鼎の主催した鹿火屋(かびや)の同人だったそうです。
 
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水戸の手水鉢(5)

2019-10-19 19:42:44 | 水戸
 今回は、一般的な長方形で、奉納時期の分かる手水鉢を選びました。
 
 
 
 
妙雲寺(見川2-103)
 文化11年(1814)とあります。鐘楼の近くにありますが、今は使われていないようです。偕楽園がつくられる前の年代なので、それがつくられるために、妙雲寺に移転された七面堂にあった手水鉢が移された可能性があるように思えます。
 
 
 
 
甘酒地蔵尊(金町1-4)
 奉上ときざまれ、文政8年(1825)とあります。水戸地方気象台北側崖下にある神社です。ここには、境内にいろいろな石碑があったり、神社扉に地蔵のよだれかけがいくつも供えられていたりします。
 
 
 
 
天神社(吉沢町748)
 奉納、天保3年(1832)とあります。
 
 
 
 
稲荷神社(千波町179-52)
 文久2年(1862)とあります。住宅地の桜の古木脇にある稲荷神社にある手水鉢です。高丸屋大重という、たぶん商人だった人が奉納した手水鉢なのでしょう。
 
 
 
 
芳賀神社(栗崎町1677)
 慶応元年(1865)とあります。5社が合祀された境内社に奉納された手水鉢です。道路工事に伴う境内社移転中に撮った写真です。
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水戸の野草(13)

2019-10-18 18:52:23 | 水戸

 少し前の写真ばかりです。ぼつぼつ盛りの花を見つけづらい時期になってきているようです。

 

 


ホドイモ(マメ科)(常照寺池脇)
 つる性で、多年草だそうです。花は緑色で、根の小さないもは食べられるそうです。(撮影9/4)




クサネム(マメ科)(青柳町)
 田の雑草で、稲にこの草の黒い実が混じると除去が大変だそうです。葉がネムノキに似ているのでいわれたようです。(撮影9/8)




マメアサガオ(ヒルガオ科)(春日神社(赤尾関町661)脇)
 北米からの帰化植物のようです。サツマイモに近い植物のようで、葉はハート型です。(撮影9/22)




カリガネソウ(シソ科)(春日神社(赤尾関町661)近く)
 雁の音(カリガネ)は、雁のことだそうで、オシベなどの形が雁の首や頭に似ていることからついた名前のようです。ホカケソウともいうようです。(撮影9/22)




ツタバウンラン(オオバコ科)(北見町5 大坂途中)
 大正年間に観賞用に入ってきて野草化した植物だそうで、長い期間咲いている花のようです。(撮影9/25)


水戸の野草(12)

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水戸の100年記念碑(1)

2019-10-17 20:55:31 | 水戸
 
渡里小学校(堀町468-1)
 明治5年の学制発布により、翌年から続々と小学校が設立されたそうですが、今回の渡里、五軒、吉田の小学校も明治6年に開校したようです。碑が建てられたのは昭和48年です。
 
 
 

五軒小学校(金町3-2-25)
 記念碑としてタイムカプセルが埋められたようです。昭和48年のことで、あけるのは50年後の令和5年のようです。五軒小学校には、もうあけられたらしい平成24年度卒業生が埋めたタイムカプセルもあります。
 
 
 

吉田小学校(元吉田町1757-1)
 開校時の校舎は、個人宅が使われたようです。この石碑も昭和48年に建てられたようです。
 
 
 

水戸市総合運動公園(見川町2256)
 明治21年に市政が公布され、明治22年4月1日に全国で初めてできた市は31だそうですが、そのうち、関東は横浜と水戸だけだったそうです。商工会議所婦人部創立20周年記念事業として、市制100周年を記念して小鹿尚久作の母子像が設置されたようです。水戸駅北口にあるさわらびという像も、水戸ライオンズクラブが建てた市制100周年とクラブ25年の記念だそうです。
 
 

常照寺(元吉田町2723)
 水戸藩茶道の中心だった石州流の水戸何陋会(かろうかい)が、平成21年で100周年を迎えたようです。徳川斉昭が建てた好文亭内の茶室何陋庵の名前を継いでいるようです。水戸商業会議所初代会頭などになった大高織衛門らが明治42年に結成したそうです。
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