最高裁を頂点とする「官僚司法」批判の一環として「司法官僚」すなわち「裁判をしない裁判官」に対する批判は、半世紀以上前から続いている。
しかし、私は最近、この批判は不正確かつ不十分なのではないかと疑念を抱くようになった。
本当は「裁判をできない裁判官」、もっと言えば「裁判をさせられない裁判官」なのではないか。
最近激増中の会議で接する「裁判をしない裁判官」たちの裁判実務的なセンスが極めて悪いと感じる場面が多いからだ。おそらく弁護士からの評判も、あまり芳しくない人たちだろう。
こういう人たちが煽てられて、現場の優秀な裁判官をリードしようとするから、文字通りのミスリードをしょっちゅう起こす。明らかに裁判で評価されて出世している訳ではないのだから、もう少し謙虚になってもらいたいものだ。
しかし、私は最近、この批判は不正確かつ不十分なのではないかと疑念を抱くようになった。
本当は「裁判をできない裁判官」、もっと言えば「裁判をさせられない裁判官」なのではないか。
最近激増中の会議で接する「裁判をしない裁判官」たちの裁判実務的なセンスが極めて悪いと感じる場面が多いからだ。おそらく弁護士からの評判も、あまり芳しくない人たちだろう。
こういう人たちが煽てられて、現場の優秀な裁判官をリードしようとするから、文字通りのミスリードをしょっちゅう起こす。明らかに裁判で評価されて出世している訳ではないのだから、もう少し謙虚になってもらいたいものだ。