歴史を捨てよう

2005-04-27 | 思想
PROLOGUE

現在の日本において人間は活きていない。
人として存在していない。喜びがない。意味がない。
ここは魂のない虫の世界。



ニューセンス。センスとは流れを読み取る感覚である。
全ての行動はセンスの上にのっている。
「何がいいのか・悪いのか」「何がクソなのか」




クソの中に埋没した世の中を救う新しい感覚が必要である。
ALL YOU NEED IS SENSE。愛じゃない。
事件は会議室でなく己の内面で起きてるんだ!
壊すべきはコモンセンス。今の常識だ。
最初に捨てる・流す(クソは流す)のは我々を空虚にする
歴史というやつだ。クサレ歴史。

歴史を捨てよう

まずは掘りさげて。
ヨーロッパ、ルネッサンスで人間中心の生き方が生まれた。
それまでの中世は神が中心。宗教の縛りが吹っ切れて科学は爆発した。
科学で実証できることを真実と捉え、冷静に判断する様になる。
過去の人間の英知を掘り起こし、以後は自分達の実績も重ねて行く。
そして現在の歴史という概念となった。
ヨーロッパ社会はローマ時代から現在までを
レンガを積み重ねる様にそびえ立っている。
「歴史は財産だ」「全人類はこの意識を持つべきだ」

そして日本。
明治の文明開化で表面は近代国家となった。
が、精神は変わらなかった。
かつての日本では、重要人物は死んだ後「神」になる。
それは祀られ信仰の対象となる。
ご利益を求めて神社に参る。
お地蔵さんに手を合わせる。
どれも生活に入り込んだ信仰だった。
現人神、天皇陛下への信仰で近代国家を造った
日本人は西洋人とはまるで異なっている。
文化的には原始人である。
信仰は生活の一部であり「生」である。
「生!」
これこそ重要なことなのだ!
魂はそこに存在しているのだ!
それが霊的な存在でも関係ないのだ!

太平洋戦争で負け、日本はアメリカに作り替えられた。
過去とのつながりは消え、それは「歴史」という
つまらないものになった。
古来より生き続けてきた魂は1945年に葬り去られた。
そこからは経済発展あるのみ。
無我夢中。
没頭。して働いた。
漢字の通り我を無くして、頭を没していた。
家族も核家族となり、生活の中の信仰も忘れられた。
そしてある程度成功してふと気付く。
「あれっ?」
何かが足りない。
何が足りないのか?
魂である。

日本人はつらい過去、つまらないものは忘れ去る。
生でなければ捨てる。
歴史は学校で試験のために暗記するもの。
またはストーリーとして興味を持つもの。
前者がおそらく過半数であろう。
後者にしても架空のドラマとさして変わらない扱いである。
その教えが生活に響くことはない。
結局成人を迎える頃には何も残らない。
確かに積み重ねの歴史感覚は日本人にあわない。
時系列で並べ、古いから貴重だなど間違っている。
だがしかし、魂を捨ててしまったことは問題なのである。

現在の20代前半の人間は、無我夢中で働いた時代を知らない。
発展の喜びを知らない。
過去とのつながりもない。
活力がないため、未来も想像できない。
クソである。

私は日本人が魂と原始的な強さを取り戻すことを目指している。
新しい流れを感じる感覚を敏感にさせたい。
ニューセンス。
そのために歴史を捨てるのだ。
戦後50年間の「にわか歴史」はもういらないのだ。











コメント (4)
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