世界の終わり

2005-04-29 | 思想
PROLOGUE

ノストラダムス、聖書の暗号。
具体的な数字のズレこそあれどちらも終末を暗示している。
他にも終末関連のオカルティックな話は尽きない。

この話題はキワモノか。
ゲテモノなのか。
宗教モノといって遠ざけるか。

人間は文化を持った時から
死を含めて「終わり」について考えてきた。
究極のセンスである。
宗教自体、優良なセンスが体系化したものに過ぎない。
歴史の重みが加わるから扱いにくくなるのだ。
生の感覚で「いいもの」かどうか判断したい。

大地、心霊とともに暮らす原始人にとって「終わり」
自体たいしたことではない。
実は日本もそれに近い。
文化と心霊が混在している曖昧な民族だ。
仏教も加われば科学技術まで入ってくる。
お気楽ピープルなのである。
只、センスにおいては非常に冴えており、
その時代の旬なものに対応できる。

ちなみに文化とは、自然を加工することから始まる。
過去2回、大きな文化の波があった。
農業の波、産業の波。前者の主役はアジアで
後者がヨーロッパ。
次の文化の波は情報産業だと莫迦はいう。
私は言おう。情報の波は壊すエネルギーでしかない。
もうお分かりだろう。
ここでいう世界の終わりとは、今を支配する
西洋文化の終わりなのだ。
今日の話はキモである。

さて、私は聞きたい。
このまま続くと思いますか。

世界の終わり

世界は終わる。
それは内面から。
どういうことか。
情報産業が目指す最終形態、ユビキタス。
これを日本語にすると「遍く」である。
全ての物は全ての場所に存在する。
いつでもどこでも。
遍。つまり「あの世」。

お遍路とは「あの世の道」。
108の霊場を回り、108の煩悩を消す。
その後、成仏する。
極楽浄土へ行けるのだ。
非常につらい修行だが、「あの世」
への道がそう簡単であるはずがない。
極めて仏教的な話だが、自然の枠組みから出た
人間を戒めるいい話である。

IT革命、実際にその恩恵は日々拡大している。
その行き着く先がユビキタス。
煩悩渦巻く現世が極楽とバリアフリーにつながるのか。

極楽。極めて安楽な場所、境遇。
確かに世の中これを目指している。
最新電化製品に包まれた生活は極めて安楽である。
ニートと呼ばれる働かない人間は極めて安楽である。
すると、我々は祖先たちの理想に到達したのか。

だが実際は、「聞いて極楽、見て地獄」。
来てはいけない所なのである。
人間が築いた極楽は必ず滅びてきた。
盛者必衰の心得。いかに歴史を蓄積してきた所で
この世は無常なのである。莫迦欧米。

極楽浄土。
こちらが本来目指すもの。
浄土は煩悩を経った後に行けるところ。
現実の世に造ることなどできないもの。
この清らかさが現在余りに欠如している。
そこ迄求めなくてもいいものである。
だが、世界が極楽化しているのは事実で
自分だけそこから逃げることはできない。
『ロード・オブ・ザ・リング』で例えれば
世界は冥王サウロンから
逃げられないのと同じこと。

ボランティアやリサイクルなんかで
自己満足に浸っている場合ではない。
心静かに暮らすことこそ
今必要なことではないか。

今の社会は「便利だな」などとぬかすのは
ボケ老人の夢にすぎない。
物心付く前からあの世・極楽の生活を送れば
心を一所に落ち付かせることができなくなる。
常にメール、そこにいない者との通信に
心奪われ集中力が恐ろしく低下する。
魂が浮遊してしまうのである。
浮遊霊。魂が薄い分、害はないが
存在の意味も無くなる。

そんな世の中に誰がしたいのか。
また、もうそうなると仮定して
我々がどういうセンスを身に付けるか
そろそろ真剣に考える時だろう。







コメント (2)
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