リーマン太平記

2006-03-14 | ライフ
PROLOGUE


私の3年弱のサラリーマン生活

それは

おもしろ、おかしく

美しく

時に「はかなげ」であった。


当時見た風景

人との触れ合いは強烈で

今も鮮明に甦る。


この記憶が風化する前に
記しておこうと思う。

リーマン太平記



2000年9月
21歳

ゆうすけ:「今日は面接だ。」

     「憧れのギャバン・スパイス!」

●この会社しか受けなかった。
 ここに入れないのなら絵の道へ進もうと
 決めていた。
 募集していなかったのだが、しつこく
 履歴書を送り続け、面接にこぎ着けた。

ゆうすけ:「やばいっ!」

     「遅刻だ!」

●乗る電車を間違え面接時間に遅れてしまった。
 その焦りで尿意を催す。
 先方でトイレに駆け込むのはどうかと
 駅周辺の公衆便所を探す。
 その間にも時間は無情に流れていった。

ゆうすけ:「ここ迄きたら堂々といこう!」

●なかばどうでもいいやというノリで
 会社へ。

 ビルの受付の内線電話の指示通りの部屋へ。
 そこでキム部長と出会う。

ゆうすけ:(亀井シズカ+三宅ユウジ)

     「よろしくお願い致します。」

●その後の面接の記憶はない。

ゆうすけ:「終わった~!」
     
     「緊張したぜ。」

●学生時代ストレス・フリーの四年間を
 過ごしたせいで非常に疲れていた。

 会社のビルを出て
 
 ウォークマンを取り出し
 ライムスターの「キング・オブ・ステイジ」
 をプレイ。

ゆうすけ:「落とすなら落とせや!」



●幸運にも落とされずに済んだ。

 しかし、募集の予定は未定とのことで
 決まり次第再度連絡と言うなんとも
 宙ぶらりんな状態となる。
 
ゆうすけ:「落ちてはいないが」
     「受かる保証もない」

     「よし。旅立とう。」

●シルクロードの旅へ出かける。
 精神を鍛えるべく西へ。



ゆうすけ:「ん~。」


●帰国。
 タクラマカン砂漠の砂の為に
 目は赤く、体重は5キロ程減っていた。


 帰るなり会社から連絡がなかったか
 家族に聴き回る。

ゆうすけ:「電話なかった?」
     「手紙とかなかった?」

●音信不通であった。


ゆうすけ:「やれやれ」
     
     「先は長いぜ」

●なんの連絡も無く時は流れていった。




ゆうすけ:「大学4年になったか、ついに。」

     「卒業もすぐだな~」


     「どうしよう。オレ。」


●そんな最中の健康診断、私は
 レントゲンで引っかかった。
 
 ミスかと思って気楽にしていたが
 そのままズルズル不運に
 飲まれていった。


医者:「結核の疑いがあります。」

ゆうすけ:「なんですと!?」


●私は隔離されてしまった。

 その後の一年は入退院の繰り返し。
 病院で気になることと言えば
 只一つ。

 ギャバンからの連絡である。

 見舞いにくる家族に聴く。



ゆうすけ:「ねーねー、連絡あった?」


●なしのつぶて。

 投与された薬のせいで精神的に
 まいってきた。



ゆうすけ:「退院できたはいいが」
     「進路は未だ霧の中。」

●幸運にもその後連絡が入り
 何度も何度も面接を繰り替えした。

 そして


ゆうすけ:「やったぜ~っ!」

     「内定!」

●内定式の後

キム部長:「ゆうすけくん、社長の名前分かる?」


ゆうすけ:ドキッ


●分からなかった。盲点だった。
 しかし分からないと言う勇気がなかった。

 その時の私の頭出て来た文字

 ス・ズ・キ!
 

ゆうすけ:「すずきしゃちょうです。」

キム部長:「塩野っていうんだよ。」

     「そこまで意識してなかったか?」

     「ハハハハ」

ゆうすけ:(あぶねー)

●雑談で済んでくれて助かった。
 危なかった。
 そうかあれは釣りバカ日誌の
 スーさんか。
 鈴木建設か。

 私はキム部長が好きである。
 いつでも強気な部長が。


つづく

コメント
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