私の人生ハイな

2018-07-28 | イラスト

私の人生。

 

父がカフェを始めた翌日に産まれた。

この国の経済成長と共に育った。

昭和は呑気で陽気な社会でした。

国産のもので満足だった。

ボブソンを履いて

チャゲアスを聞き、フジテレビを見て

ジャンプを読んでいた。

平成に変わり陰気でシリアスな社会で

絵を真剣に書くようになる。

手塚治虫のファンクラブに入り

ビートルズを知った。

リーバイスを知った。

父の商売は順調で店は増えていった。

阪神大震災の翌年に高校の交換留学でアメリカへ。

ハイな社会を肌で感じる。

帰国後、ハリウッドランチマーケットを知り

12年後に結婚することになる女性と出会う。

9.11の年、大火傷、結核感染、肺気胸で

入退院を繰り返す日々の中

憧れのギャバンスパイスの内定をもらう。

就職後、M&Aの壮絶な混乱に直面。

父はハイテク株暴落や、新規出店の

過度な投資で失敗し、難局を迎える。

2年後ギャバンが味の素に買収されたことで

退社を決意する。ケミカルは受け入れ難かった。

父の店を一店任せてもらう。

大好きな横浜、らしい店であった。

営業は人に任せパーティーを繰り返し

遊び呆けた。そこで書きためた文章や

以前からためていた絵などで本を

自費で出版した。ブログを始めた。

その店は建物の改修の都合で閉店となる。

覚悟を決めて父の会社へ入る。

総料理長と仕事をして、会社の本質を学ぶ。

若者支援活動と出会う。その幹事長と

交友を深め、活動に加わる。

三年後、料理長がクモ膜下出血で倒れる。

傷心の日々を支えてくれた女性と翌年、結婚。

翌年、娘を授かる。かけがえのない幸福を知る。

2年後、かつてホームステイしたアメリカの

友人の結婚式でアメリカへ。ハイな空気に触れ

今後の経営を真剣に考えるようになる。

若者支援活動のキーパーソンと共に独自の

活動を始める。自費出版時に命名した

アラジンエンタープライズの始動となる。

 

つづく

 

 

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