私の人生。
父がカフェを始めた翌日に産まれた。
この国の経済成長と共に育った。
昭和は呑気で陽気な社会でした。
国産のもので満足だった。
ボブソンを履いて
チャゲアスを聞き、フジテレビを見て
ジャンプを読んでいた。
平成に変わり陰気でシリアスな社会で
絵を真剣に書くようになる。
手塚治虫のファンクラブに入り
ビートルズを知った。
リーバイスを知った。
父の商売は順調で店は増えていった。
阪神大震災の翌年に高校の交換留学でアメリカへ。
ハイな社会を肌で感じる。
帰国後、ハリウッドランチマーケットを知り
12年後に結婚することになる女性と出会う。
9.11の年、大火傷、結核感染、肺気胸で
入退院を繰り返す日々の中
憧れのギャバンスパイスの内定をもらう。
就職後、M&Aの壮絶な混乱に直面。
父はハイテク株暴落や、新規出店の
過度な投資で失敗し、難局を迎える。
2年後ギャバンが味の素に買収されたことで
退社を決意する。ケミカルは受け入れ難かった。
父の店を一店任せてもらう。
大好きな横浜、らしい店であった。
営業は人に任せパーティーを繰り返し
遊び呆けた。そこで書きためた文章や
以前からためていた絵などで本を
自費で出版した。ブログを始めた。
その店は建物の改修の都合で閉店となる。
覚悟を決めて父の会社へ入る。
総料理長と仕事をして、会社の本質を学ぶ。
若者支援活動と出会う。その幹事長と
交友を深め、活動に加わる。
三年後、料理長がクモ膜下出血で倒れる。
傷心の日々を支えてくれた女性と翌年、結婚。
翌年、娘を授かる。かけがえのない幸福を知る。
2年後、かつてホームステイしたアメリカの
友人の結婚式でアメリカへ。ハイな空気に触れ
今後の経営を真剣に考えるようになる。
若者支援活動のキーパーソンと共に独自の
活動を始める。自費出版時に命名した
アラジンエンタープライズの始動となる。
つづく