W A K I の気ままなトンボの目

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噂にたがわず凄い作品 「信貴山の縁起絵巻は素晴らしい」

2007年01月06日 | 歴史
 NHKBS放送「信貴山の縁起絵巻の大宇宙」を見てどうしてもこの信貴山縁起絵巻を見たくて3日は奈良県側から家族で信貴山に登った。朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、信貴山真言宗総本山の寺院である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られている。大和七福神のひとつにも数えられる。やはり正月とあって多くの参拝客でにぎわっていた。信貴山縁起絵巻は平安時代につくられた絵巻で、信貴山朝護孫子寺に伝わる国宝の絵巻で三つの説話から成っている。原本は奈良国立博物館に収められているが複本がここの霊宝館で展示されている。日本のアニメーションの原点とも言われる、時空を越えた素晴らしい作品であった。帰りは「てぬき庵」でお茶をいただき、信貴生駒スカイラインを通って帰った。

信貴山縁起に就いて(霊宝館説明文より)
当山が所蔵する国宝『信貴山縁起絵巻』は平安後期に描かれた日本絵画史を代表する傑作の一つです。10世紀初め信貴山に寵もり、奇跡を行った修行僧命蓮(みょうれん)の物語を三巻に描いたもので、第一巻『飛倉の巻』は命蓮の法力で、空を飛ぶ鉢が長者の米倉を信貴山上に運んだが、米俵だけは長者の庭に戻したという話。第二巻『延喜加持の巻』は醍醐天皇の病を剣の護法という毘沙門天の使者を遣わして平癒させたという内容。第三巻『尼公の巻』は年老いた命蓮の姉が弟を尋ねて奈良に至り、東大寺大仏の夢告により信貴山に登り弟に会い、余生を共にしたという話。生彩な筆の運び、色彩表現、卓抜な構図などは、鮮やかです。なお筆者は不明です。                                信貴山 朝護孫子寺

コメント (3)
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