Kの実家のすぐそば、いとこ・KE子さんの自宅が、3.11の地震・津波被害により、被害を被った。同居していたお母さんを災害関連死で亡くし、心身共に憔悴した2年を過ごされた。仮住まいのアパートを経て、手続き・折衝の日々を重ね、自宅跡に新築し、嬉しい入居を迎えたのは、今年の6月6日でした。
KE子さんの「一度、自宅に泊まってね!」という申し出を頂いてから、なかなか機会が無く、4日間の休みが取れたのは、学校が夏休みに入った、7月26日でした。当日は、被災後、「相馬野馬追」の3年目の祭事の時期でも、ありました。
26日は、ゆっくり9時半頃、自宅を出発。いつもの通り、遅い昼食を福島市内で摂り、3時頃に相馬に到着。実家の義兄さんご夫婦に挨拶後、早速、KE子さん宅を訪問しました。お祝いを差し上げて、二階建ての屋内を、見せていただきました。改めて、そこまでの「ご苦労話し」に、時間が瞬く間に、経ちました。
7月27日 宇多郷・出陣
私も含め、両親とも相馬の生まれです。東京育ちの私は、幼い頃より両親の郷里に親しみ、卒論の題材もこの地のことでした。やはり相馬生まれのKと結婚してからは、今まで以上に、身近な土地になりました。
浦育ちのKよりも、幾らか相馬の土地勘はありますが、「一千年有余の歴史ある、国指定重要無形民俗文化財 相馬野馬追(公式HPより)」を、間近に見た記憶は、ハッキリとは、ありませんでした。
゛この機会に! ゛……と、思いました。
長友グランド・大手門を入ってすぐの大鳥居の前に、三脚をセットしたのが、午前8時過ぎです。総大将以下・相馬中村神社・宇多郷の武者行列の出発(9時半)を待ちます。
Fテレビ局の黄色い腕章をしたカメラマン一行・3人ほどが近づいてきて、「この場所、ちょっといいですか? 行列を撮りましたら、すぐ移動しますから! すみません……」。多勢に無勢で、私は、セットした三脚を脇にどかしました。内心、ちょっと ゛ムッ ゛としましたが、すぐに「撮影ポイントは、間違っていなかった!」という思いで、嬉しさも込み上がります。
9時過ぎ、出陣式の見物を終えた人達が、奥の社より、ぞろぞろ帰ってきました。その後ろより、騎馬武者以下の行列が、ぞくぞくと続きます。参道脇の見物客より声が飛びます。「~子ちゃん、かっこいい!!」、「…君、がんばれ!」、「あそこに、……さんが居るよ!」などです。螺(かい)役のホラガイが鳴り響き、口上を述べる軍者のひときわ大きな叫び声が、見物客の威勢に、かき消されます。初めて目の当たりにする迫力は、復興の底力を感じます。
行列は、大手門を出て、市中へと向かいました。
(今年の総大将・相馬家33代当主・相馬和
胤氏の次男 陽胤(きよたね)氏(35歳))
(出陣式を終え大鳥居を市中に向かう騎馬武者)
(槍隊の前の子供達の参加者)
(相馬市内・東邦銀行前をかっ歩する騎馬武者)
(東邦銀行前丁字路より大町へ向かう行列)
(丁字路の見物客とカメラの放列)
(東邦銀行前・凛々しい若者の槍隊)
(行列のしんがりは馬の落とし物を片付ける清掃隊)
(マンホールや鉄製蓋には滑り止めカバー)
7月28日 野馬追本祭(雲雀ヶ原祭場地)
予定していた駐車場(原町第一小学校)が満杯で、日立原町電子工業の敷地駐車場よりシャトルバスを乗り継いで、会場入りしたのは、10時頃でした。
「初めての野馬追なので、何でも見て回ろう!」と思っていましたが、会場が広すぎて、結果、ピンポイントでの撮影、観覧となりました。
当日入場券(一般自由席)は1000円、前売り(800円)の他、行列観覧桟敷席、撮影許可証など、事前に申請、予約する料金のあることも知りました。後日報道で、45000人以上の入場者でしたので、事前の準備でないと、混乱が生じるのでしょう。
牛来口ゲート(第1コーナー)より入場し、カメラの場所取りがすでに終わっている売店脇を、南口ゲート(第2コーナー)より一度場外に出ました。再入場は、半券を提示すれば、OKです。行列観覧桟敷席のある騎馬入場口は、黒山の人だかりです。すでに始まっている9時半からの五つ郷(中ノ郷・小高郷・標葉郷・北郷・宇多郷)の行列入場に、口上、かけ声、螺(かい)、拍手、シャッター音が、飛び交います。
……と、その時
「誰だ? 出ろ! 前へ出ろ!」、「早く出ろ! 出ろ!!」
と、騎馬武者の怒鳴り声が、響き渡り、一瞬その場が、蹄(ひづめ)の音のみと、凍り付きました。見物客から、「誰か、行列を横切ったらしいぞ?」の、ざわめき声が上がります。
すわ!! ゛ 切り捨て御免 ゛ ゛打ち首 獄門か? ゛
ビデオ機材を背負った二人の男性が、゛こそっ゛と道を渡って、人混みの中へ消えて行きました。
Kが、言っていたことを思い出しました。
「昔は、振る舞い酒に酔った武者もいたり、荒っぽかった。二階より見物していた家に、騎馬ごと押し入り、階段を駆け上がったこともある」
そう思って見回すと、見物客、写真撮影者達の脚立は、二段までの小さなものが多く、町並みの二階よりの見物客の顔は、見つかりません。これが、「見物」の礼儀なのかもしれないと、思いました。
(騎馬武者行列の入場)
(桟敷席前を通る騎馬武者行列)
以後場内で、最後の入場となる宇多郷を待ちました。11時近く、昨日目の当たりにした「相馬中村神社」の幟(のぼり)が、近づいてきました。わくわく、嬉しくなります。
(宇多郷 最後の入場です)
(宇多郷 行列到着の口上を恭しく述べます)
宇多郷が到着した後、開会の式典が行われ、関係者の挨拶、「相馬流れ山」斉唱・集団演舞が披露されました。大観覧席は、2時間前とは大違い、12時過ぎの甲冑競馬開始を待つ、人 人 人 人 人で満杯です。
(一般観覧席 F~I)
12時10分開始の甲冑競馬は、大迫力!
疾風にはためく「旗指物」を背にした若武者が、砂塵を巻き上げて、一周1200mの馬場を駆けめぐります。落馬で負傷した若者が、救急車で……、放れ馬になって、馬場を3周も逆走する馬が、哀れを誘います。4コーナーを回って、複数馬が転倒、びっこを引いて退場する馬を見た女性が、思わず「キャッ! 可哀想…!」と、悲鳴を上げた。ここぞとばかりに、柵越しに待ち続けたカメラの放列のシャッターが、次々と切られます。走路上で脚を引きずる武者を、係員が急いで、枠外に運び出しています。
8レース、53騎、1時間半の競馬は、「あっ!」という間に、終わりました。
1位で駆け抜けた、若武者の ゛ガッツポーズ ゛が、実にすがすがしく感じます。
(甲冑競馬 7頭立ての迫力!)
(甲冑競馬 第1コーナーの せめぎ合い)
(甲冑競馬 翻る旗指物が目に眩しい)
引き続き、三妙見神社の御神旗の奪い合い、「神旗争奪戦」は、色とりどりの旗指物が、雲雀ヶ原に乱舞する様が、素晴らしい。勝者が、本陣への九十九折りの斜面を駆け上がる力強さは、次回の撮影素材にしたい。
(神旗争奪戦 乱舞する旗指物が美しい)
(紅い神旗に群がる騎馬武者)
初めての「野馬追」見物は、実に新鮮で、迫力のある、力強いものでした。
3.11の災害で幾多の馬、馬具、甲冑、家、出場者を失ったか、私は判りませんが、開催に向けて、筆舌に尽くせないご苦労があったことは、予想はされます。会場に来るまで、ネット社会の利便性を活かして、様々の情報を取得しました。仮想では味わえない、現実の意気込みを感じました。ここに集(つど)った皆さんが、元気な限り、東北の復興は、着実に、時間はかかりますが、成ると思います。
しかし、競走馬の再就職先として「野馬追」が有名とは、知りませんでした。
(撮影許可証)