卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

相馬野馬追

2013年08月04日 14時08分30秒 | 旅行

 Kの実家のすぐそば、いとこ・KE子さんの自宅が、3.11の地震・津波被害により、被害を被った。同居していたお母さんを災害関連死で亡くし、心身共に憔悴した2年を過ごされた。仮住まいのアパートを経て、手続き・折衝の日々を重ね、自宅跡に新築し、嬉しい入居を迎えたのは、今年の6月6日でした。

 KE子さんの「一度、自宅に泊まってね!」という申し出を頂いてから、なかなか機会が無く、4日間の休みが取れたのは、学校が夏休みに入った、7月26日でした。当日は、被災後、「相馬野馬追」の3年目の祭事の時期でも、ありました。

 26日は、ゆっくり9時半頃、自宅を出発。いつもの通り、遅い昼食を福島市内で摂り、3時頃に相馬に到着。実家の義兄さんご夫婦に挨拶後、早速、KE子さん宅を訪問しました。お祝いを差し上げて、二階建ての屋内を、見せていただきました。改めて、そこまでの「ご苦労話し」に、時間が瞬く間に、経ちました。


7月27日 宇多郷・出陣


      私も含め、両親とも相馬の生まれです。東京育ちの私は、幼い頃より両親の郷里に親しみ、卒論の題材もこの地のことでした。やはり相馬生まれのKと結婚してからは、今まで以上に、身近な土地になりました。

       浦育ちのKよりも、幾らか相馬の土地勘はありますが、「一千年有余の歴史ある、国指定重要無形民俗文化財 相馬野馬追(公式HPより)」を、間近に見た記憶は、ハッキリとは、ありませんでした。
       ゛この機会に! ゛……と、思いました。


 長友グランド・大手門を入ってすぐの大鳥居の前に、三脚をセットしたのが、午前8時過ぎです。総大将以下・相馬中村神社・宇多郷の武者行列の出発(9時半)を待ちます。
 Fテレビ局の黄色い腕章をしたカメラマン一行・3人ほどが近づいてきて、「この場所、ちょっといいですか? 行列を撮りましたら、すぐ移動しますから! すみません……」。多勢に無勢で、私は、セットした三脚を脇にどかしました。内心、ちょっと ゛ムッ ゛としましたが、すぐに「撮影ポイントは、間違っていなかった!」という思いで、嬉しさも込み上がります。
 9時過ぎ、出陣式の見物を終えた人達が、奥の社より、ぞろぞろ帰ってきました。その後ろより、騎馬武者以下の行列が、ぞくぞくと続きます。参道脇の見物客より声が飛びます。「~子ちゃん、かっこいい!!」、「…君、がんばれ!」、「あそこに、……さんが居るよ!」などです。螺(かい)役のホラガイが鳴り響き、口上を述べる軍者のひときわ大きな叫び声が、見物客の威勢に、かき消されます。初めて目の当たりにする迫力は、復興の底力を感じます。
 行列は、大手門を出て、市中へと向かいました。



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(今年の総大将・相馬家33代当主・相馬和
胤氏の次男 陽胤(きよたね)氏(35歳))



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(出陣式を終え大鳥居を市中に向かう騎馬武者)




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(槍隊の前の子供達の参加者)




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(相馬市内・東邦銀行前をかっ歩する騎馬武者)





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(東邦銀行前丁字路より大町へ向かう行列)




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(丁字路の見物客とカメラの放列)




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(東邦銀行前・凛々しい若者の槍隊)




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(行列のしんがりは馬の落とし物を片付ける清掃隊)




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(マンホールや鉄製蓋には滑り止めカバー)




7月28日 野馬追本祭(雲雀ヶ原祭場地)

 予定していた駐車場(原町第一小学校)が満杯で、日立原町電子工業の敷地駐車場よりシャトルバスを乗り継いで、会場入りしたのは、10時頃でした。
 「初めての野馬追なので、何でも見て回ろう!」と思っていましたが、会場が広すぎて、結果、ピンポイントでの撮影、観覧となりました。
 当日入場券(一般自由席)は1000円、前売り(800円)の他、行列観覧桟敷席、撮影許可証など、事前に申請、予約する料金のあることも知りました。後日報道で、45000人以上の入場者でしたので、事前の準備でないと、混乱が生じるのでしょう。


 牛来口ゲート(第1コーナー)より入場し、カメラの場所取りがすでに終わっている売店脇を、南口ゲート(第2コーナー)より一度場外に出ました。再入場は、半券を提示すれば、OKです。行列観覧桟敷席のある騎馬入場口は、黒山の人だかりです。すでに始まっている9時半からの五つ郷(中ノ郷・小高郷・標葉郷・北郷・宇多郷)の行列入場に、口上、かけ声、螺(かい)、拍手、シャッター音が、飛び交います。

 
 ……と、その時


     「誰だ?  出ろ!  前へ出ろ!」、「早く出ろ!  出ろ!!」


 と、騎馬武者の怒鳴り声が、響き渡り、一瞬その場が、蹄(ひづめ)の音のみと、凍り付きました。見物客から、「誰か、行列を横切ったらしいぞ?」の、ざわめき声が上がります。

   すわ!!  ゛  切り捨て御免 ゛ ゛打ち首  獄門か? ゛


 ビデオ機材を背負った二人の男性が、゛こそっ゛と道を渡って、人混みの中へ消えて行きました。


 Kが、言っていたことを思い出しました。
   「昔は、振る舞い酒に酔った武者もいたり、荒っぽかった。二階より見物していた家に、騎馬ごと押し入り、階段を駆け上がったこともある」


 そう思って見回すと、見物客、写真撮影者達の脚立は、二段までの小さなものが多く、町並みの二階よりの見物客の顔は、見つかりません。これが、「見物」の礼儀なのかもしれないと、思いました。




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(騎馬武者行列の入場)




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(桟敷席前を通る騎馬武者行列)




 以後場内で、最後の入場となる宇多郷を待ちました。11時近く、昨日目の当たりにした「相馬中村神社」の幟(のぼり)が、近づいてきました。わくわく、嬉しくなります。



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(宇多郷 最後の入場です)




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(宇多郷 行列到着の口上を恭しく述べます)

 宇多郷が到着した後、開会の式典が行われ、関係者の挨拶、「相馬流れ山」斉唱・集団演舞が披露されました。大観覧席は、2時間前とは大違い、12時過ぎの甲冑競馬開始を待つ、人 人 人 人 人で満杯です。

 

 

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(一般観覧席 A~E)




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(一般観覧席 F~I)

 12時10分開始の甲冑競馬は、大迫力!

 

 疾風にはためく「旗指物」を背にした若武者が、砂塵を巻き上げて、一周1200mの馬場を駆けめぐります。落馬で負傷した若者が、救急車で……、放れ馬になって、馬場を3周も逆走する馬が、哀れを誘います。4コーナーを回って、複数馬が転倒、びっこを引いて退場する馬を見た女性が、思わず「キャッ! 可哀想…!」と、悲鳴を上げた。ここぞとばかりに、柵越しに待ち続けたカメラの放列のシャッターが、次々と切られます。走路上で脚を引きずる武者を、係員が急いで、枠外に運び出しています。
 8レース、53騎、1時間半の競馬は、「あっ!」という間に、終わりました。
 1位で駆け抜けた、若武者の ゛ガッツポーズ ゛が、実にすがすがしく感じます。




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(甲冑競馬 7頭立ての迫力!)




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(甲冑競馬 第1コーナーの せめぎ合い)




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(甲冑競馬 翻る旗指物が目に眩しい)




 引き続き、三妙見神社の御神旗の奪い合い、「神旗争奪戦」は、色とりどりの旗指物が、雲雀ヶ原に乱舞する様が、素晴らしい。勝者が、本陣への九十九折りの斜面を駆け上がる力強さは、次回の撮影素材にしたい。



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(神旗争奪戦 乱舞する旗指物が美しい)




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(紅い神旗に群がる騎馬武者)




 
初めての「野馬追」見物は、実に新鮮で、迫力のある、力強いものでした。
 3.11の災害で幾多の馬、馬具、甲冑、家、出場者を失ったか、私は判
りませんが、開催に向けて、筆舌に尽くせないご苦労があったことは、予想はされます。会場に来るまで、ネット社会の利便性を活かして、様々の情報を取得しました。仮想では味わえない、現実の意気込みを感じました。ここに集(つど)った皆さんが、元気な限り、東北の復興は、着実に、時間はかかりますが、成ると思います。


 しかし、競走馬の再就職先として「野馬追」が有名とは、知りませんでした。



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(10時15分頃の一般観覧席)




Photo

(撮影許可証)

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(出陣前の騎馬武者)




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(雲雀ヶ原祭場地 案内図)


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