2016年 一泊二日 上州ドライブ (3)
8月19日午前、妙義神社から20分ほどで、横川駅前の「おぎのや本店」でした。
平成9年10月1日、JR信越本線 横川/軽井沢間が廃止になり、以後発着駅となった今、余り広くない駅前には、おぎのやの看板カラーのオレンジ色と、本店の昔ながらの店先の様子が、ひっそりと目立つだけです。駅横の自転車置場で、高校生くらいの3人が輪行車を、霧雨の中、組み立てていました。
1000円の「峠の釜めし」を二つ、今日の晩ご飯用に買いました。「消費期限本日17時」とありますが、恐らく間に合わないでしょう。店の向かい、サッシの引戸が半開きになった入口の上に「おぎのや資料館」とありました。床敷き六畳二間、それぞれの部屋に「駅弁当屋・おぎのや」の歴史が紹介されていました。歴代の包み紙、「釜めし」を取り上げた様々の雑誌、往時を偲ばせる信越本線の鉄道写真、昭和42年テレビ放映された「釜めし夫婦」(主演 池内淳子 田村高広)のスチール写真もありました。
(おぎのや本店 レトロな店構えが…)
(「おぎのや資料館」には釜めしの歴史が詰まっていました)
(歴代の包み紙、お店では「掛け紙」と呼んでいました)
(包み紙も販売場所により違いがあるようでした?)
どうにも気になって、横川から高崎へ向かう途中、昨日富岡から宿へ向かうときに通過した、安中市内の丘陵地へ向かいました。昨日のその時は雨も降っており、写真を撮る術(すべ)もありませんでしたが、今、雲はまだまだ厚いですが、天気は確実に回復へ向かっていました。雨は、横川を出発した頃より止んでいます。
安中市中野谷地区、見渡す限りの丘陵地一面、壮観なコンニャク畑が広がっていました。
(安中市中野谷地区のコンニャク畑 写真3枚を合成しました)
(コンニャクの地上部)
1時過ぎ、高崎市内「めんいち」に着きました。
食べられなかった未練の恨みは深く、どうしても食べたい ゛ ひもかわうどん ゛ 、桐生の敵(かたき)は、高崎で晴らすことになりました。ネット検索で市内でただ一つヒットしたのは、このお店でした。ナビが無いと行き着けない所にありました。
カウンターに10人も座れない?店内には、家族連れの先客が一組。野球帽の年配の店主とおぼしきおじ(い)さんがただ一人、切り盛りしていました。
「そちらにお茶が!」と、それぞれ注文した私達に、背後の魔法瓶を目配せしながら、無愛想に言ってくれました。私は「肉汁ひもかわうどん」、Kは「きのこ汁…」を頼みました。家族連れが帰った後に、別々の若者が二人入ってきましたが、「肉汁…!」、「肉汁…」と、慣れた様子で注文していました。
5cm幅の平打うどんが丸ざるせいろに乗って、カウンター越しに出されました。三枚肉を煮出した濃い目のつけ汁は、うどんを浸すと美味しく頂けました。Kは「ちょっと汁が濃いわね!」と、ささやいていましたが、全て平らげていました。お互いつけ汁を替えながら、当初の目的のうちの一つは、達成されました。
住宅街の一角、目立たないお店に、また一人、車で来た若者が入っていきました。
(高崎「めんいち」の ゛ 肉汁ひもかわうどん ゛)
(分かりづらい住宅街の一角にひっそりとある「めんいち」)
やはり、消費期限の5時までには、帰り着けませんでした。高崎からの直帰、数時間の運転は、結構疲労しました。入浴もそこそに、「釜めし」に食らいついた様子は、ご想像にお任せします。それぞれの具とご飯の味が、濃くなく薄くなく、微妙にマッチしてとても美味しく、是非また食べたくなる味でした。歴史に裏打ちされ、庶民に愛された「釜めし」であることが、実に納得できるものでした。
写真を撮り忘れ、器の釜と「掛け紙」だけが、二つずつ残りました。
(了)