管野千代子先生より、『「フォトコン」月例コンテストの年度賞授賞式&懇親会』の案内書面のコピーを頂きました。
「写真を今後やられるなら、何かの参考になるかもしれないし、上級者・業界関係者の話を積極的に聞いて、゛ 糧 ゛にしたらどうでしょう!」
2月22日 「フォトコン」年度賞授賞式出席 11:00~15:00
管野先生のことは、大分以前より、アマチュア写真愛好家として、海外まで撮影旅行や、写真雑誌に投稿して、当選も数多くされていることは、時折、Kより聞いておりました。
「…誌…月号に今度入選して、掲載されているので、見て ね!」と、Kを通じて連絡があり、都度、書店で立ち読みしておりました。
私の父親が写真好きで、中学・高学年では、キャノネットを買い与えられ、写真部で学内階段下の暗室で、現像液と氷酢酸で、DPEにふけっておりました。
以後、ペンタックスSPや現在の携帯デジカメまで、細く長く写真(機)との付き合いは、続いておりました。ただカメラ(撮影)は、記録の一つの手段で、それ以上のモノではなく、最近は、フルオートの「バカちょん」を操っているだけでした。気持ちの変化は、3.11以後と退職間近の私の心境にあったと思います。改めて、写真を基本から、やってみる。管野先生には、やはり触発されたと思います。
会場の三笠会館前で、偶然先生にお会いし、早い時間でしたので、先生の案内で、K共々「キャノンギャラリー銀座」に向かいました。
「2013年度[フォトコン]月例コンテスト入賞作品選抜展」が開催されており、管野先生の作品も、展示されておりました。
全く間の抜けた話ですが、そこに展示されていた作品は、これから私達が出席する「年度賞授賞者の作品」だったのです。展示開催タイトルに、別に注意を払うことなく、2,3の気に入った作品と出品者の名前が、わずかに頭の隅にインプットされました。車椅子の小柄な老人が、介助者とともに、ギャラリーを出て行きました。
会場前の横断歩道に、先ほどの「車椅子の老人」が、私達の横に並びました。先生が、私にささやきました。「審査員の方で、プロのカメラマンの木村恵一先生よ!」。
(式次第 パンフレット)
11時半過ぎに、会場に入りました。管野先生に、色々な方より「ご挨拶」のお声がかかります。私は、主催者の日本写真企画の石井社長を紹介されました。訳の分からぬままに、席に着きます。先生は、最前列に座られたようです。
関係者の挨拶が続きます。管野千代子先生は、「マンスリーフォトコンテスト【自由作品の部】」、第2位で授賞されています。
(照明を抑えた授賞式会場)
(管野先生・「中・上級」自由作品の部、第2位を授賞)
【中・上級コース】ネイチャーフォット(5名)・自由作品(5名)
【初級コース】 ネイチャーフォット(5名)・自由作品(6名)
組写真 4名
モノクロ作品招待席 3名
以上28名のアマチュア写真愛好家が、授賞の栄誉を受けました。審査員の講評の後、その場を懇親会の場に変えて、美味しいオードブルに、ほろ酔い加減のアルコールの下、歓談の輪が、2時半過ぎまで続きました。 私も、先生の計らいで、数人の写真家の方を紹介していただきました。
場も終盤に近づき、「中締め」として紹介されたのは、車椅子の小柄なプロ写真家・木村恵一氏でした。やはり、時代を生き抜かれた、写真家の「一家言」は、同じ時代を生きる者として、魂に響く言葉を感じました。
すっくと立ち上がり、つまり……
「……皆さんが、コンテストのためでなく、自分のために記録すること。時代を記録することが、優れた写真の表現に繋がると、思います。とにかく、カメラを持つこと。女性でしたら、ハンドバックに入れられるカメラを、持ち歩いてください。モノに出会ったら、見る目が変わってきます。(受賞者の)皆さんの、これからが楽しみです。私は、(審査員として)1年間(皆さんと)、お付き合いしてきましたが、これからまた、自分のための写真、自分の記録の写真、……それは、昭和の記録であり、日本の記録でもあり、時代の記録です。それは、風景でも、何でも同じです。これからの皆さんのご健闘を、お祈りしたいと思います。
また、お会いするのを、楽しみにしております。
今日は、おめでとうございました。」
(やはり「一家言」あり・木村恵一氏)
充実感を胸に、会場を失礼しました。
管野先生のリクエストで、神田小川町の「オリンパスプラザ東京」のギャラリーへ、向かいました。
「山川常男 写真展【狐の行列】」、王子神社の漆黒の闇に、色艶やかな「狐」達が、浮世絵調の「王子装束 ゑの木・大晦日の狐火」を再現しています。会場に「祭り囃子」が流れる中、先生が、山川さんと思われる方と、挨拶しています。暗闇の明色彩を楽しんだ後、軽食へ向かいました。
体力勝負の先生は、授賞会場でしっかり召し上がっていらしたようで、Kだけがランチを食べそびれていました。私も、そば程度ならと、徒歩10数分の蕎麦屋へ……。
年末、年越しそばで中継の「神田やぶそば」は、未だ再建途中ということで、やはり、戦火を免れた創業明治17年・神田須田町の「神田まつや」の暖簾をくぐりました。店の引き戸を開けて、驚きました。そんなにも広くない店内が、満席状態です。三人して、ちょっとたじろぎましたが、そこは初めての処、好奇心が優先しました。
腰のある美味しい ゛ もりそば ゛6枚と、エビ天2本、熱燗2合を、堪能しました。何の下調べも無しに入りましたが、周りの皆さんの戴きものは、結構メニュー豊富に、見受けられました。ただ、一様に男性の方々が、概ね1,2合徳利を頼んでいるのが、 ゛ それらしさ ゛を物語っています。
管野先生に、蕎麦屋を気に入っていただいたようで、秋葉原駅で、失礼しました。先生は、福島から日帰りの東京上京との事でした。
持ち帰った「式次第 パンフレット」の巻末データを、チェックしてみました。
「2013年1月~12月までの中心4部門+2部門の投稿延べ人数・20,000人(月平均・1675人)、延べ参加点数115,000点(月平均・9,577点)」
毎月の出展で、獲得したポイント(推薦 特選 入選 金賞 銀賞 銅賞)の合計で、1位~5位までが出席できる授賞式、……競い合う・励み……を感じました。