卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

2018年 映画「十年」

2018年11月14日 09時01分37秒 | 映画

 2018年 映画「十年」

 

 

朝のNHKのニュース、……「公務員が安楽死を薦める「PLAN75」という」、「是枝裕和監督が監修」、「全国12の映画館で上映中」、「5人の新進気鋭の監督が作るオムニバス」、等々の内容を断片的に見聞いて、興味を持ちました。埼玉県では、2館で上映されており、そのうちの一つの上映館は「MOVIX三郷」でした。

「「万引き家族」でパルムドールを受賞した監督が監修、高齢者の安楽死を題材に取った社会派の近未来映画が、全国十二分の一の地元の映画館で見られる」ということが、何か特別なものに感じられて、映画の公式HPを開かせました。

 

「楢山節考(ならやまぶしこう)」を見た時は、閉鎖された貧しい山村下での必然的な姨捨の掟に、少なからず影響を受けました。「PLAN75」は、それがとうとう国家的な統制の下に現実となったものか?……と、リンクして興味を持った訳です。また、なぜ「MOVIX三郷」なのか?……とも思いました。普通、商業ベースに乗りそうもない(失礼!m(_ _)m)、色濃い社会派や特定の思想信条を特徴とした映画は、言葉は悪いですが、一般受けしないある程度採算を二の次にした館主の思惑の強い映画に限られるケースが多いと、Aは思っていましたから……。大手シネコンのMOVIXの一館が上映するとは、11月6日の時点で意外に思った訳です。

 

 

(11月8日「MOVIX三郷」)

 

 

「高齢化問題を解決するため、75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する国の制度 ゛PLAN75 ゛。公務員の……」(「十年」パンフレット、「PLAN75」より)

 

国の方針にのっとって高齢者に安楽死を勧誘する公務員・主人公の、その講習会で講師が言うことが怖いです。「高齢者でも富裕層・仕事従事者には、どんどんお金を使ってもらいます。国の行政に頼るばかりの高齢者には、話を薦めて……」といった内容だったと思います。働けなくなって痴呆が始まった家族のお荷物、独居にて障害を負い行き場が無く、行政の世話にならざるを得ない老人達のことを指して言っているのでしょうが、「楢山節考」や2016年7月の「津久井やまゆり園」の障害者大量殺傷事件が、頭を過ぎりました。年寄りの口減らしを目的とした、民間伝承の姨捨の風習を国家が主導して行う近未来、戦争へと突き進んだあの時代の蘇りとしか思えません。

 

「AIによる道徳教育に管理された国家戦略IT特区の小学校、AIシステム ゛プロミス ゛に従ってさえすれば、子供達は苦しむことなく日常を過ごすことができた。ある日……」(「十年」パンフレット 「いたずら同盟」)

 

IT時代が生んだ寵児「AI」は、あらゆるデータを内に取り込んで、普遍的な価値観を作り出そうとして、そのシステムを構築している。AIの道徳観に管理され、ちょっとでも逸脱した言動を行う者は、はじき出され、お仕置きを受ける。ホストコンピューターへの電源供給が停止した、その時に、子供達の本能が覚醒し、データでは測定出来ない人間本来の特性が現れた。良い事だけを見せて、苦しさ・悲しさ・辛さ、慈しみという数値化できないデータ?……は、どうして学ぶのだろうか? 近未来というよりも既に私達は、片足を踏み込んでいることに、意識をもたなければならないのかも!

 

「……妄信的にAIによる判断に身を委ねた先には、固定化されたシステムが待ち受けている。既成の常識やルールを疑い問い続けて行動することが、更新できる可能性がある未来につながるはずだという思いを込めた。」(「十年」パンフレット 木下雄介監督)

 

 

「母の生前のデータが入った ゛デジタル遺産 ゛……、データをもとに母の実像を結ぶことに喜びを感じていたが、ある知られざる一面を……」(「十年」パンフレット 「DATA」)

 

<終活>の一環として残したいものや、今後必要な事務書類でスキャニングで済ませられるものを、デジタルデータとしてフラッシュメモリーにAは残しています。あるベテランの番組キャスターも、同様のことで、 ゛老後に備えている ゛と、言っていました。母親の後片付けをしていたら、数十年前の領収書や書き付け・書簡などが出てきて整理するのに、手間取りました。Aの「へその緒や母子手帳」、Aを身ごもった時の父への手紙など、感慨を煽るものも見つかり、一人で泣いてしまいました。その人の一生分のデータは、膨大な量になり、残された家族への「遺産」としての価値は、素晴らしいものかも知れません。しかし、個人のプライバシーであり、いいことだけが残るとは限りません。故人の秘密を見つけてしまったときの遺族の対応は?故人と長年生活を共にし、血の繋がりの結果として……、否や、その繋がりさえも疑問が生じたら?……という問い掛けのエンドは、余韻のあるエピソードでした。

 

 

「放射能による大気汚染から逃れるために……、地下の暮らしに何の疑問も持たずにいた……、まだ見ぬ世界へ強い憧れを……」(「十年」パンフレット 「その空気は見えない」)

 

゛起こってからでは遅かった ゛という悔悟の念ばかりで片付けられる問題ではない ゛放射能汚染 ゛。どれだけ多くの議論がなされ、未来・近未来を問わずに核の恐怖の映画が撮られ続けられていることか。チェルノブイリ・スリーマイル島、福島第一原発という悲惨な事故で、地球上の目に見えない大気がどれだけ汚染されていることか、汚染大気に色を付けられたらどれだけ人間は衝撃を受けるだろうか?日常生活の中で無意識に吸っている空気は、無尽蔵では無い。地球という一つの星の上で、微妙なバランスの中で生成を保っているだけという意識を、もう少し一人一人が持ったらどうでしょうか。一つの甚大な事故から何も学ばな過ぎる日本人、タイト感が欠落していると思わざるを得ない。

かつてドイツは、酸性雨によりシュヴァルツヴァルト(黒い森)の木々の多くが枯死した時に、「緑の党」という環境政党が台頭し、環境意識が世界で最も高い国の一つとして、メルケル首相が誕生しました。そのCDUのメルケル首相が2021年に退くという発表が、先日ありました。博愛の意識が遠のき、俺が俺がの利己主義に固まった世界が広まりつつあるようで、非常に怖く感じます。「お天道様の下で、全うに……」を貫抜けられなくなった子供達に、その時大人達は、何と言うのでしょうか?「悔悟の念」が語られる以前の機会に、出来るだけのことを、してみようではありませんか!

階段を上り詰めて、地上の扉を開けた時に、「誠の青い空と本来の自然の空気」が広がって充満している世界を見たいと思います。

 

「2011年の震災以降 ゛空気 ゛という見えない物に、生活が脅かされているように感じる事が時々あります。今の私たちの無関心や沈黙が、未来の子供達の好奇心と可能性を狭めてしまうのではないかという自戒と共に映画を作りました」(「十年」パンフレット 藤村明世監督)

 

 

他に徴兵制を題材に取った「美しい国」という短編5編の映画でした。ちょっとした切っ掛けの映画鑑賞で、ほぼ事前準備の無いまま劇場の席に座ってしまいましたが、公式HPに少しばかりでも目を通しておいて、大変参考になりました。「PLAN75」は、分かりやすい内容でしたが、他の4編は、集中して視聴していてもなかなか難解な部分があり、結構合点がいかない箇所が数多くありました。パンフレットを購入してから、「あ、あ~」と納得したことも1、2ヶ所だけではありません。

 

この映画の始まりが、2016年の香港版「十年 TEN YEARS」に始まり、以後の日本・タイ・台湾の「Ten Years International Project」を経て、Japanの「十年」に至ったことをパンフレットより知りました。十年後の近未来の設定ですが、既に始まっている「未来」であることは、ハッキリと分かることでした。是非、発信元の香港と、タイ・台湾の「十年」を見てみたいとも思いました。

 

11月6日にNHKのニュースで「十年」を知った時は、全国12館で上映されていました。Aが「MOVIX三郷」で鑑賞したのは8日で、当日の映画の公式HPで上映館をチェックしたときは、全国14館での公開でした。来年1月上旬までの ゛順次公開 ゛を含めると全国で26館の上映が予定されているようですが……。

 

 

(パンフレット「十年」)


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