卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

輪跡を偲んで・・・(三条市 吉ヶ平)

2015年08月21日 15時21分32秒 | 自転車

輪跡を偲んで・・・(三条市 吉ヶ平) 

 

 

平成27年7月27日、「公楽」を出立したのは8時半。昨年お世話になった時の息子さん…? の姿は、見えなかった。宿に入った時から、勘定を済ますまで…、食事の世話をしてくれたのは、女将さん一人でした。

 

289号線を5分ほど走ると、越後交通の「長沢駅跡」のバス停が、見えてきます。今走ってきた国道は、38年前は、まだ国鉄弥彦東線で、気動車が東三条まで通っていた路線です。

私が当時走った国道は、まだ五十嵐川沿いだったのだろう…?

 

 

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【八十里越ラン  夜行日帰り  S52.8.21  オールランダーバー付ランドナー車(輪行)  枠付きザック  走行距離80km?  曇り後晴れ】

 

○上野駅 23:20 「急行 佐渡4号」

 当日(S52.8.21)、18:00に新潟行き決定。握飯9ヶ、列車は、100%の混みよう。

 

○東三条駅 4:39

 うとうとしている間に、東三条駅に着く。駅の中で、以前と同じ場所で組み立て。前回(S49.6.2)は、大谷川沿いに行き、鞍掛峠の鞍部が眺められる所で、残雪にはばまれ断念したが、今回は守門川沿い。期待できそうである!!

 駅前を5:12発、オールランダーバーは、余り良くない。ザックを背負って、どうも力が入らない。

 

○越後長沢

 五十嵐川沿い、弥彦線越後長沢駅を右手に見て進む。早朝は、いつも気持ちよく、田舎の空気が腹にしみ入る。

 

 

(昭和52年 越後長沢付近のはぜ木)

 

 

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「越後長沢駅跡は、バスの停留所になっている…」と聞いたが、「長沢駅跡」は、バスの転回が出来る広場となっており、道を挟んで三条警察署下田交番が、しっかりした二階建屋としてありました。昭和60年廃止された弥彦東線の面影などは全くなく、私も覚えているはずもありません。

 

 

(越後交通 長沢駅跡バス待合所)

 

 

9時前に、今日の宿泊場所でツーリング拠点の、「八木ヶ鼻AC(オートキャンプ場)」駐車場に到着しました。五十嵐川・キャンプサイトは、NPO…の子供キャンプ会場になっているらしく、朝食を終えたばかりの子供と保護者達が、どこかへ野外活動に出かけるらしく、集合し、出発支度にワイワイ騒いでいるところでした。

9時45分、「あっ! 自転車だ!」と、指さす子供達のはしゃぎ声を後に、出発しました。朝方、それほどでもなかった天気は、連日の高温注意報の太陽に戻っており、゛ カッ ゛とする日差しが、鈍(なま)った身体と気持ちを、どうしても不安にさせます。キャンプ場併設の温泉施設を通り抜け、緩傾斜の八木ヶ鼻大橋・長野大橋を吉ヶ平(よしがひら)へ向け、走り出しました。

 

 

(平成27年7月27日 ツーリングマップ)

 

 

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○八木前

  八木前の橋手前を右折、前回は橋を渡り、直進した。「!…m前まで雪崩注意」の道路標識が、たびたび目に付く。積雪期の様子が察せられる。近辺の山肌には、「雪崩止」が、赤く見える。守門川左岸、狭小の山間を、牛野尾・境・葎谷(もぐらだに)、遅場(おそば)と、集落と言えない家の集まりを過ぎる。

 

 

(昭和52年 八木前の三叉路を右折 吉ヶ平へ)

 

 

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長野大橋を左折して、いよいよ吉ヶ平への道程に入ります。わずかな傾斜がだらだらと続き、長野温泉を見下ろす真新しいコンクリートの机橋を進みます。まだ午前10時過ぎだというのに、肌を焼くようなギラギラした日差しは、汗を噴き出させ、走り出して30分もたたないのに、道沿いの木立の日陰を探しては、休んでばかりいます。工事個所で、数人の作業員を見た以外は、幾つかの集落を通りますが、人影も見ません。あそこまで! あそこまで!……と、日陰伝いに進んでいるうちに、10時45分、鉄柵のあるゲートに着きました。右回りに水ノ木峠への道があるので、最奥の集落地・遅場らしいが、民家はありません。途中あったバス停は、ここには見当たりません。

出発して1時間余り、途中の暑さで戻る事も考えましたが、ゲートの向こうに通ずる、それまでより細い一本道を目の当たりにした時から、その気はなくなりました。写真を撮り、11時5分、ゲートを後にしました。

 

 

(写真にはありませんがゲート右側には「熊出没中 危険!」の看板)

 

 

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○遅場

  越後バスは、遅場が終点。それまでは、道幅も広かったが、ここより急に狭まり、車一台がやっと。川幅も狭くなるが、水は清い。

 

 

(昭和52年 遅場付近)

 

 

○吉ヶ平 8:10

  地名だけだと思ったら、立派な小屋がある。ストーブを付けていた人懐っこそうな年齢のおやじが、朝食を食べている私に話しかける。動物の足跡を見せ、゛ クマ ゛だと言うが、どうも違うらしい? キツネじゃないかな?

おやじの写真を撮り、送ることを約束する。色々はなした。

コンクリート橋を渡り、登山道を20分位登った所で、雨生池と八十里越への分岐の道標があった。左の雨生池へは行けそうだが、八十里越は下草が背丈ほどもあり、自転車では無理だ。今回も、八十里越は、越えられなかった。

 

 

(昭和52年 吉ヶ平山荘の前にて 以前は部落があった)

 

 

(昭和52年 八十里越・雨生池の分岐 右の草藪を行く予定だった)

 

 

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吉ヶ平には、11時40分に着きました。ゲートより吉ヶ平まではすべて舗装、緩傾斜が続くが、林間のため遅場までのように直射日光を浴びないので、非常に楽でした。途中、ワンカップの水飲みを置いた水場が一ヶ所、吉ヶ平直前のコンクリート製「八十里橋(平成18年竣工)」前後のわずかな登り下り以外は、極端な上下はありません。八十里橋近辺は、五十嵐川漁協組合による河川への入漁路が幾つか整備され、「入漁料を促す案内板」が掲げられていました。また、新吉ヶ平山荘?にて「釣券販売」がされていることを告げていました。

38年ぶりの吉ヶ平は、記憶上全くの白紙で、新鮮でした。見渡せる広場に建つ「新吉ヶ平山荘?」は煉瓦色に塗られ、重機が回りを整地しています。当時渡ったはずの八十里越への入口・樽井橋の先は、鬱蒼とした森の中へと消えていました。

写真を撮っていると、最前より草刈りをしていた方が、近寄って話しかけてきました。私より「40年ほど前に来たことがある」と答えると、地区のいわれを話し出しました。「昭和45年に吉ヶ平部落は集団離村し、以後はただ一つ残った下田村立の小学校・吉ヶ平分校を宿泊も可能な山荘に手を入れて、時折、常駐する方もいた」…などと。また、私より「当時、山荘管理をされていて、下田村でいろいろ事業をされていたらしいT氏と話をして、名刺を頂いた」との受け答えの会話を、しばし交えました。

吉ヶ平には30分ほどおり、汗が引けたころを見計らって、帰途につきました。下り標高差300mを約1時間かけて、1時15分・キャンプ場に戻りました。

 

 

(水場で小休止直後の登坂)

 

 

(吉ヶ平直前 八十里橋より八十里越え山塊を望む)

 

 

(新吉ヶ平山荘(正式な名称は決まっていない))

 

 

(昭和38年4月設置の雨量観測所 標高 406.0m)

 

 

(八十里越えの入口 樽井橋(昭和42年竣工))

 

 

予約済みの「八木ヶ鼻AC」で手続き後、2時30分にテント設営完了しました。ドライブ旅行3日目、3時間半の思い出を巡るツーリングは、無事終了しました。

 

 

(景勝 ゛ 八木ヶ鼻 ゛直下のオートキャンプ場)

 

 

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○八木前

  3時間前よりチェーン(レノルド3/32)が不調、油だらけになったが、直らない。レノルドは絶対に使わない。八木前で、チェーン取り替え料金を聞くと3200円、止めた。

 

○越後長沢 11:00

  長沢駅「13:08」にて輪行する積もりであったが、列車は、朝夕の4本と土曜だけの1本のため、東三条まで走ることにした。途中、ベテランらしいサイクリストと行き違った。

 

○東三条駅 「急行 佐渡2号」

  駅で分解していると、駅食堂のコックが話しかけてきた。「八十里越えには、間道がある」ことを聞いた。

 

○上野 17:42着

  「急行 佐渡2号」は、300%。ひどい混みようであった。


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