「俺はもう、年だから いつ死んでも かまわねえ」
そう言って 放射能の高い地域に残る老人の話が、ある。
放射能は、目に見えないから、実感としての恐怖は湧かない。
だから、例えば放射性物質の横にいても なんともないものだから、毎日が普通に過ぎている気がするのだろう。
なんで、みんな逃げるんだ?
と思うくらいなのかもしれない・・・
これが、はっきりと催涙ガスのように目や鼻に刺激があるとか、あるいは、炎が出て熱ければ、あわてて逃げるはずだ。
この老人の話を読んだとき、ふと 思ったのは、シドニーで数年前 ラジウムが棄てられていたエリアでの訴訟だった。
ここは、多くの人が白血病になるので、政府が家を建てることを禁じた経緯があり それをめぐって訴訟問題になり、政府がその土地のオーナーからすべてを買い取ったというものだった。
何年も歳月をかけてできた街。
それは、のべ何万人という人間の血と汗の結晶であり、そこには多くのドラマがあり、風が吹き、雨が降り、桜が咲いて、恋が生まれ、子供が育ち、きれいな田園風景があり、そして、将来ともに、それが約束されて 永遠に続くはずの場所だった。
誰もが、原子力発電所が建てられる事を希望していたわけではなく、反対意見は、「時代遅れ」だとか、「非科学的な農民」だとか、かえって蔑まされたり、あるいは、「金欲しさの 運動家だ」などと言われてもいた。
結局、原子力発電所は建築されて、そこには、多くの人々が 不安と心配とそして原発差別を受けるにいたり、最後には、爆発して、そして 街はそこに住んでいた人々とともに、棄てられる。
ゴースト タウン
誰もいない町に 信号機だけが不気味についたり 消えたりしている。
ぞっとしないか?
私は、怖いと思う。
こんなふうに、誰がしたのか?
加害者は東電だけではない。
一人ひとりの国民が、加害者なのだと思う。
昨夜の私の夢の話をしたい・・・
昨夜、私は眠る前にじっと目をつぶって考えていた。
福島の原発のことを、である。
もちろん何かが出来るわけではないが、そこへ意識を集中して 目の中で風景を見ようと思った。
そして、明け方 それは見えた気がした。
もちろん 幻想であろう。
しかし、そこでは 私は光る玉だった。腕もなく 足も無かった。
ただ、光る玉で飛び続けている。
私自身が 明るく光りながら 空を飛んでいる。
私は驚いたが、前からずっとそうだった気もしていて、驚かない自分も一方で存在していた。
自由な意思を持って飛ぶことは出来ないようだった。
そして、
私は海岸線にそって、あちこちを見た。
それは、東北のどこかの海岸線だった。
しかし、私の見た その景色はおぞましく、そして 醜くグロテスクで、とても正視できるものではなかった。
残骸と、死体と、腐臭 そして 誰もいない町があるだけだった。
誰もいない町に、咲く花があった。
それは 何の花だったのかは、わからない。ただ黄色い花が風で揺れていた。
その黄色だけが 妙に印象的だった。
おそらく、テレビで観た画像が、夢になって私はそれを観たのであろう。
どこかで、様々な交錯した神経が高ぶり、そういう映像を脳裏に映し出したのであろう。
しかし、それらの映像は、とても強く訴えかけるのである。
助けて という声も聞いた。
背中をとんとん と叩かれたり、海の中から手が見えたりもした。
もちろん、それらはすべて夢の中の世界だろう。しかし、幻想にしては、声はリアルに響いたし、手も波間からはっきりと見えた。
波は黒っぽい海に白いしぶきだけを 蛍光灯で光らせたように 飛び上がったり沈んだりしていた。
私自身は、それらの声も、手も、聞きながら、観ながらもただ、どこかへ向かって、すーっと飛び去っていった。
何かができる自分ではなく、自分の意志で飛んでいるのでもなく、ただ、その上を止まらずに飛んでいく自分だけがいた。
ふと 朝になって目が覚めた。
夢だったのか・・・と思ったが、景色があまりにも リアルで、私の体はとても疲れていた。
こうして、人はノイローゼになっていくのだろうか・・・などと 朝のコーヒーを飲みながら、覚醒していく頭を振りつつ思った。
もう、うんざりだ。
テレビも観たくないし 新聞も読みたくない。
朝のトーストが妙に乾いて 味気が無かった。
そう言って 放射能の高い地域に残る老人の話が、ある。
放射能は、目に見えないから、実感としての恐怖は湧かない。
だから、例えば放射性物質の横にいても なんともないものだから、毎日が普通に過ぎている気がするのだろう。
なんで、みんな逃げるんだ?
と思うくらいなのかもしれない・・・
これが、はっきりと催涙ガスのように目や鼻に刺激があるとか、あるいは、炎が出て熱ければ、あわてて逃げるはずだ。
この老人の話を読んだとき、ふと 思ったのは、シドニーで数年前 ラジウムが棄てられていたエリアでの訴訟だった。
ここは、多くの人が白血病になるので、政府が家を建てることを禁じた経緯があり それをめぐって訴訟問題になり、政府がその土地のオーナーからすべてを買い取ったというものだった。
何年も歳月をかけてできた街。
それは、のべ何万人という人間の血と汗の結晶であり、そこには多くのドラマがあり、風が吹き、雨が降り、桜が咲いて、恋が生まれ、子供が育ち、きれいな田園風景があり、そして、将来ともに、それが約束されて 永遠に続くはずの場所だった。
誰もが、原子力発電所が建てられる事を希望していたわけではなく、反対意見は、「時代遅れ」だとか、「非科学的な農民」だとか、かえって蔑まされたり、あるいは、「金欲しさの 運動家だ」などと言われてもいた。
結局、原子力発電所は建築されて、そこには、多くの人々が 不安と心配とそして原発差別を受けるにいたり、最後には、爆発して、そして 街はそこに住んでいた人々とともに、棄てられる。
ゴースト タウン
誰もいない町に 信号機だけが不気味についたり 消えたりしている。
ぞっとしないか?
私は、怖いと思う。
こんなふうに、誰がしたのか?
加害者は東電だけではない。
一人ひとりの国民が、加害者なのだと思う。
昨夜の私の夢の話をしたい・・・
昨夜、私は眠る前にじっと目をつぶって考えていた。
福島の原発のことを、である。
もちろん何かが出来るわけではないが、そこへ意識を集中して 目の中で風景を見ようと思った。
そして、明け方 それは見えた気がした。
もちろん 幻想であろう。
しかし、そこでは 私は光る玉だった。腕もなく 足も無かった。
ただ、光る玉で飛び続けている。
私自身が 明るく光りながら 空を飛んでいる。
私は驚いたが、前からずっとそうだった気もしていて、驚かない自分も一方で存在していた。
自由な意思を持って飛ぶことは出来ないようだった。
そして、
私は海岸線にそって、あちこちを見た。
それは、東北のどこかの海岸線だった。
しかし、私の見た その景色はおぞましく、そして 醜くグロテスクで、とても正視できるものではなかった。
残骸と、死体と、腐臭 そして 誰もいない町があるだけだった。
誰もいない町に、咲く花があった。
それは 何の花だったのかは、わからない。ただ黄色い花が風で揺れていた。
その黄色だけが 妙に印象的だった。
おそらく、テレビで観た画像が、夢になって私はそれを観たのであろう。
どこかで、様々な交錯した神経が高ぶり、そういう映像を脳裏に映し出したのであろう。
しかし、それらの映像は、とても強く訴えかけるのである。
助けて という声も聞いた。
背中をとんとん と叩かれたり、海の中から手が見えたりもした。
もちろん、それらはすべて夢の中の世界だろう。しかし、幻想にしては、声はリアルに響いたし、手も波間からはっきりと見えた。
波は黒っぽい海に白いしぶきだけを 蛍光灯で光らせたように 飛び上がったり沈んだりしていた。
私自身は、それらの声も、手も、聞きながら、観ながらもただ、どこかへ向かって、すーっと飛び去っていった。
何かができる自分ではなく、自分の意志で飛んでいるのでもなく、ただ、その上を止まらずに飛んでいく自分だけがいた。
ふと 朝になって目が覚めた。
夢だったのか・・・と思ったが、景色があまりにも リアルで、私の体はとても疲れていた。
こうして、人はノイローゼになっていくのだろうか・・・などと 朝のコーヒーを飲みながら、覚醒していく頭を振りつつ思った。
もう、うんざりだ。
テレビも観たくないし 新聞も読みたくない。
朝のトーストが妙に乾いて 味気が無かった。
放射能汚染度を比較的、簡潔で見やすいサイトを見つけた。
ここで、さまざまなことが解るが、逆に不安になることもある。
数値は、変わっていき、徐々に収縮してきており、このままいくと、治まるのではないかとも見て取れる。
だが、なぜか、いきなり ポンと高い数値が出てくる日があったりして、風向きのせいなのか、あるいは、放射能汚染と言うものは、そういう性質のものなのかが、わからないままだ。
だが、数値が無いよりは あったほうがいい。
今 日本はまさに転換期を迎えている。
これは、様々な面で言えることだ。
例えば、日本人の多くは、被災者にたいして、いかに手助けが出来るかを考えるようになった。
これは、優しさの現れである。
同時に、自衛隊に対しての見方が大きく変わった。
彼らを今、悪く言う人はいないだろう。よく税金食い虫などと言っていた人たちも さすがに10万人の自衛隊の活躍を前に、押し黙っている
我慢をしなければならないと、考えるようになった。
今まで、何かあると、救急車をタクシー代わりに使っていた人間たちが、(今もいるかもしれないが)正当な電話にのみかけるということを、認識するようになった。
泥棒や空き巣など、東北地方で活躍する火事場泥棒を、とても憎む気持ちが強くなった。
悪い奴というのは、いつでもいるから、押さえが利かないものだが、それにしても、日本の略奪や犯罪はこの未曾有の事態でも、世界に比べると奇跡的に少ないのである。
こういう内面的で、すぐには見えない変化は重要で、今後、私たち日本人の中で、ひとつの精神的な核となって、一体になるために、重要な役割を果たすことになるだろう。
広島の原爆や長崎の原爆、あるいは沖縄のひめゆり隊や、特攻隊・・・などに匹敵するであろうトラウマを残した。
しかし、日本人はそれを超えて強くなり、団結も出来るようになっている。
次に、目に見える形の転換期について語りたい。
これは、外的要素による転換期で、完全に今までとは違うミッションを持たなければならなくなった。
それは、脱原子力である。
そのために、しなければならないストラテジーこそが実に問題だ。
まずは、不足分の電気をどう、補うか?という問題だ。
通常の考え方で行けば、火力発電になる。
すでにあるテクノロジーと古い高炉を使うということで、ある程度は回復できるが、同時に大問題になるのはCO2だ。
鳩山内閣のときに、世界に大見得を切って、CO2削減を打ち出した我々日本人は、このことを守らないわけにはいかない。
ならば、安易に火力発電に頼るわけにもいかず、また、すでに高騰しているオイル価格と、不気味な円安によってダブルパンチを見舞われることは、確実だ。
インフレは急に深刻な状況となり、すでに中国がデフレ輸出国からインフレ輸出国へと変わってきている今、日本の高くなるインフレ率は、給与の安い状態とかさなり不景気をともなった、足を引きずりながら歩かなければならない状態になるのである。
こういう状態になる前に、手を打つ必要がある。
ここでの キーワードは インベーション テクノロジー (発明)だ。
いかに、効率よく燃料を使い、最小のCO2排出で 最大の生産を実現するかということである。
燃料に いわゆる化石燃料を使う従来のやり方には、すでに 先が無いことは、前にも触れた。
したがって、日本独自の技術で 原子力に変わるエネルギーを探すことを始めなければならない。
いくつかの候補はある。
例えば、火山熱応用。
あるいは、太陽光や風力、
しかし、どれも多大なコストの割には、期待値ほどのエネルギーが得られかどうか、疑問である。
だが、この候補の中で、いくつかを国を挙げて実践していかねば、我々には明日がない。
原子力をやめるなら、次のエネルギー革命を 真剣に、考えてストラテジーを組んで、バジェットを決めてやらなければ、ならないのは、考えてみれば、もっと前からやっておくべきだったかもしれないし、当然、今はそれに取り掛からなければならない時にきているのである。
さて、我々のできること。
それは、第一に、現在のテクノロジーをよりよく知ることだ。
第二に取捨選択を行い、ひとつのやり方・・・を選ぶか、あるいはいくつかの複合体で電気を作り出す方法を編み出すか・・・をしなければならない。
第三に、そうやってできた電力を、電気会社が買い取って還元するシステムをもっと作るべきだ。
例えば、オランダでは風力発電を推進させているが、その風車を一機持っていれば、永遠に電気が起こるたびに、収入があるというシステムがある。
日本でも太陽光、風力ともに、そういう買取システムを一般化させて、一般人が電気を自分のところで起こすと儲かるというモチベーションを持たせることが、ひとつの提案としてあってもいいだろう。
例えば、農業をしていたが、うまくいかなくなった地域には広大な土地があり、そこをうまく利用して太陽光発電を行う。
そのために必要なインフラ・・・配線工事などの一部は、投資者と国が折半で行う。また金融期間も政府とあわせて特例を作り、
そのための融資を楽にするという方法がある。
そうすると、多くの農家は、ビジネスとしての発電を考えるだろうし、閑地の活用にもなるだろう。
もちろん、問題はある。
例えば日本には峻険な土地が多く、太陽光熱発電を行ってもそこから電気を引っ張るために莫大な費用がかかる・・・などであろう。 だが、原発の事故に比べれば、今後そのためにかかる500年の費用に比べれば、そんなもの微々たる物だ。
逆にその山々のあちこちに、風車をおったてて欲しいと思う。
そうして、電気を起こすことを、国を挙げてやる。
できれば、100%自然から電気を起こすことができれば、われわれはこの憎むべき津波や地震を起こした相手を 打ち破ったことになる。
日本人は、今、ここで一本の線を引き、一歩も引かないと誓って前に進むしかない。
ここで、さまざまなことが解るが、逆に不安になることもある。
数値は、変わっていき、徐々に収縮してきており、このままいくと、治まるのではないかとも見て取れる。
だが、なぜか、いきなり ポンと高い数値が出てくる日があったりして、風向きのせいなのか、あるいは、放射能汚染と言うものは、そういう性質のものなのかが、わからないままだ。
だが、数値が無いよりは あったほうがいい。
今 日本はまさに転換期を迎えている。
これは、様々な面で言えることだ。
例えば、日本人の多くは、被災者にたいして、いかに手助けが出来るかを考えるようになった。
これは、優しさの現れである。
同時に、自衛隊に対しての見方が大きく変わった。
彼らを今、悪く言う人はいないだろう。よく税金食い虫などと言っていた人たちも さすがに10万人の自衛隊の活躍を前に、押し黙っている
我慢をしなければならないと、考えるようになった。
今まで、何かあると、救急車をタクシー代わりに使っていた人間たちが、(今もいるかもしれないが)正当な電話にのみかけるということを、認識するようになった。
泥棒や空き巣など、東北地方で活躍する火事場泥棒を、とても憎む気持ちが強くなった。
悪い奴というのは、いつでもいるから、押さえが利かないものだが、それにしても、日本の略奪や犯罪はこの未曾有の事態でも、世界に比べると奇跡的に少ないのである。
こういう内面的で、すぐには見えない変化は重要で、今後、私たち日本人の中で、ひとつの精神的な核となって、一体になるために、重要な役割を果たすことになるだろう。
広島の原爆や長崎の原爆、あるいは沖縄のひめゆり隊や、特攻隊・・・などに匹敵するであろうトラウマを残した。
しかし、日本人はそれを超えて強くなり、団結も出来るようになっている。
次に、目に見える形の転換期について語りたい。
これは、外的要素による転換期で、完全に今までとは違うミッションを持たなければならなくなった。
それは、脱原子力である。
そのために、しなければならないストラテジーこそが実に問題だ。
まずは、不足分の電気をどう、補うか?という問題だ。
通常の考え方で行けば、火力発電になる。
すでにあるテクノロジーと古い高炉を使うということで、ある程度は回復できるが、同時に大問題になるのはCO2だ。
鳩山内閣のときに、世界に大見得を切って、CO2削減を打ち出した我々日本人は、このことを守らないわけにはいかない。
ならば、安易に火力発電に頼るわけにもいかず、また、すでに高騰しているオイル価格と、不気味な円安によってダブルパンチを見舞われることは、確実だ。
インフレは急に深刻な状況となり、すでに中国がデフレ輸出国からインフレ輸出国へと変わってきている今、日本の高くなるインフレ率は、給与の安い状態とかさなり不景気をともなった、足を引きずりながら歩かなければならない状態になるのである。
こういう状態になる前に、手を打つ必要がある。
ここでの キーワードは インベーション テクノロジー (発明)だ。
いかに、効率よく燃料を使い、最小のCO2排出で 最大の生産を実現するかということである。
燃料に いわゆる化石燃料を使う従来のやり方には、すでに 先が無いことは、前にも触れた。
したがって、日本独自の技術で 原子力に変わるエネルギーを探すことを始めなければならない。
いくつかの候補はある。
例えば、火山熱応用。
あるいは、太陽光や風力、
しかし、どれも多大なコストの割には、期待値ほどのエネルギーが得られかどうか、疑問である。
だが、この候補の中で、いくつかを国を挙げて実践していかねば、我々には明日がない。
原子力をやめるなら、次のエネルギー革命を 真剣に、考えてストラテジーを組んで、バジェットを決めてやらなければ、ならないのは、考えてみれば、もっと前からやっておくべきだったかもしれないし、当然、今はそれに取り掛からなければならない時にきているのである。
さて、我々のできること。
それは、第一に、現在のテクノロジーをよりよく知ることだ。
第二に取捨選択を行い、ひとつのやり方・・・を選ぶか、あるいはいくつかの複合体で電気を作り出す方法を編み出すか・・・をしなければならない。
第三に、そうやってできた電力を、電気会社が買い取って還元するシステムをもっと作るべきだ。
例えば、オランダでは風力発電を推進させているが、その風車を一機持っていれば、永遠に電気が起こるたびに、収入があるというシステムがある。
日本でも太陽光、風力ともに、そういう買取システムを一般化させて、一般人が電気を自分のところで起こすと儲かるというモチベーションを持たせることが、ひとつの提案としてあってもいいだろう。
例えば、農業をしていたが、うまくいかなくなった地域には広大な土地があり、そこをうまく利用して太陽光発電を行う。
そのために必要なインフラ・・・配線工事などの一部は、投資者と国が折半で行う。また金融期間も政府とあわせて特例を作り、
そのための融資を楽にするという方法がある。
そうすると、多くの農家は、ビジネスとしての発電を考えるだろうし、閑地の活用にもなるだろう。
もちろん、問題はある。
例えば日本には峻険な土地が多く、太陽光熱発電を行ってもそこから電気を引っ張るために莫大な費用がかかる・・・などであろう。 だが、原発の事故に比べれば、今後そのためにかかる500年の費用に比べれば、そんなもの微々たる物だ。
逆にその山々のあちこちに、風車をおったてて欲しいと思う。
そうして、電気を起こすことを、国を挙げてやる。
できれば、100%自然から電気を起こすことができれば、われわれはこの憎むべき津波や地震を起こした相手を 打ち破ったことになる。
日本人は、今、ここで一本の線を引き、一歩も引かないと誓って前に進むしかない。