Sydney Yajima


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棄民 3

2011-04-11 12:31:26 | Weblog
福島原発の問題。
⇒のリンクから、様々な問題点についての識者の意見など、長文ものもあり、あるいは長い時間かかる話もあるけれど、子供たちの未来のために、是非読んで欲しい。

子供たちは大人に比べて、放射能の汚染を受けやすいし、またその影響が20年後に出てくることなどもある。
それは白血病であったり、がんであったり、あるいは甲状腺異常であったりするし、また世代も何代にもわたって起こる場合もあるので、常に気をつけて欲しい。

私は、棄民というタイトルで文章を書くときは、とても怒っているときで、しかし 冷静に話を進めようと、心に言い聞かせているときでもあるので、精一杯 自制しながら書くけれども、もちろん 人間なので、もし、あまりそぐわない表現などがあった場合は、ご容赦願いたい。

人が二人で愛し合うと 子供が出来る。
子供がひとり、ふたり、 さんにん・・・と増えていって それは、家族になる。
家族が、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・と集まってちいさな集落が出来る。
集落で、小さな畑を開墾し、水を引いてお互いが生活のやっていけるように、気配りをしながら、その集落のまとめ役である チーフに色々なことを委ねて、そして、村が出来る。
村が良いリーダーに恵まれて、みんなが幸せに生活し始めるようになると、多くの人がそのリーダーの下に集まり、だんだんと大きくなって町になり、そして、組織化されて都市になりやがて、国になる。

だが、基本は、変わらない。
もともとは、
人が二人で 愛し合ったことから、始まったのである。
だから、人は 見ず知らずの人を愛することができる。
愛がなければ、人はついてこないし、国は、滅びる。

国を守るためには、愛がなければならない。
繰り返すようだが、愛は人を助け、大事にし、そして守ることだ。
国のリーダーは、誰よりも愛情がなければ 務まらない。

そして・・・

私は、今 日本の文部省に対して怒っている。
なぜ 怒っているのかは、まず ここを読んでから、この続きを読んで欲しい。


これが、何を意味するかは、このブログをはじめから読んでくださっている方はもちろん、このリンク集をごらんになられた方々にとっても、すぐに分かることだと思う。

文部科学省は国の管轄である。
言うまでもないことだが、彼らの仕事は、子供たちの将来のための教育であったり、あるいは彼らの健康管理であったりする。

基準は、そのために設けられており、その基準が出来たとき、それなりの理由があったはずだ。
基準値を引き上げるということは、人間が放射能に飛躍的に対応能力ができたからなのか、もしそうでないのであれば、私の大嫌いな言葉、「棄民」がここでも 行われようとしている以外 考えられない。

そして、もし「棄民」をしているのであれば、その理由として考えられるのは、思いつく限り 以下のような ことである。

1 町に人がいなくなる。
2 それによって、その町はゴーストタウンになり、税収は減る。
3 多くのホームレスの対応を国はしなければならず、そのために多くのコストがかかる。
4 また、今後も原子力発電所を推進していくことで、多くの利権が継続して手に入るが、安全基準をこのままにしておくと、コスト VS リターンの方程式が狂うので、このさい、多少の子供の犠牲は目をつぶって、さっさと基準値を上げてしまおうと考えた。
5 また官僚の天下り先に なんとか協会やら、なんとか研究所やら、なんとか機関などなどが、原子力発電所関連には、たくさん、たくさん、たくさんあり、そこへの受け入れ先が決定している文部科学省の役人たちにとっては、定年後の旨い汁が吸えなくなる。


まだ ほかにもあるかもしれない。
此処を読んでくれているみんな!!!
もし、思いつくことがあれば、書いて欲しいし、天下り先の なんとか なんとか の実名や、そいつらのやっていることも知りたいので、どうか、皆さん協力して この日本の旨い汁を吸う悪党どもを血祭りに上げてやろうではないか。
こいつらに、福島原発に行って、防護服なしで、作業をさせてやりたい。

・・・すまん。ちょっと冷静になる時間をくれ・・・