ずっと 徳川の差別政策が続いていた。
日本中、差別があった。
差別を打破したい。
それを願い、実行した。
そして、それは、龍馬の死後 四民平等という形になった。
漁師も、将軍も 平等になった・・・はずだった。
新しい差別が始まった。
華族と平民 そして天皇家
そこから、外国へ侵略が始まり、三国人を差別するということが始まった。
韓国人、朝鮮人、中国人たちは、日本人から、差別を受けた。
軍人は 満州に領土を広げ、日本から移民してきた市民を差別した。
そして、アメリカに滅茶苦茶にやられて、それで 何もかも燃えて、それで終わった。
マッカーサーがやってきて民主主義と憲法9条を置き土産にして、帰った。
日本は、また民主主義と平等社会を手に入れたように見えた。
外国人の力士が相撲をとり、在日外国人が多くの企業を起こした。
そして、龍馬の意思は、ようやく明治1868年以降、130年あまりでようやく 達成しはじめたように、表向き見えた。
しかし、格差ができた。
馬鹿な人間は、それを二次元でしか見ることが出来ず、単に 「勝ち組と負け組み」と割り切った。
金を儲けることや権力を握ること、そういうことを どうやら、勝ち組と言うらしい。
そして、そうでない人間を、負け組みと言うらしい。
踊らされた。
多くの人間はそれで、踊った。
だが・・・
その結果、日本には54の原子力発電所という恐ろしい者で取り囲まれていた。
原子力発電所は、それ自身が 放射能を持つ恐ろしいものだった。
だが、日本人は虚ろで、おぼろげな 嘘の繁栄におごった。
バブルは弾けたが、それでも、日本人は、そこまで深刻ではなかった。
東京は、相変わらず、渋谷の輝きがあった。
「日本は本当に景気後退なのか?」
と、私のユダヤ人の友人は、渋谷でつぶやいた。
彼は、口をあんぐりと開けて、渋谷の昼間のような電気の下でしばらく動かなかった。
今から、6年前の話だ。
私たちは六本木ヒルを、歩いた。
雨が降っていた。
だが、その雨は放射能をまだ含んではいなかった。
私は、日本の反映はまだまだ続くことを 一瞬たりとも疑ったことは無かった。
形あるものは壊れる。
そんな簡単なことさえ、見失わせるほど、町中には偽者の光が満ち溢れていた。
私たちの国は、また無茶苦茶になった。
いや、なった というのは正確に言えば 間違いである。
無茶苦茶に、なりつつある・・・がより 正確な表現であろう。
これから、何年ものあいだ。
日本は、どんどんと悪くなる。
それは、なにも経済に限って言っているのではない。
食べ物、空気、水 土地 人心、それらは これでもか、これでもか と続く災害のなかで、ますます荒廃していくであろう。
災害は自然のものと人工のものとの両方によって、絶え間なく、長い期間・・・・終わるとも思えないほどうんざりとするくらい長い期間 襲ってくるだろう。
自然の災害だけならば、半分かあるいは、それ以下で済んだかもしれない。
だが、人災は、終わらない。
なぜなら人間がいる限り、その人間が馬鹿であり続ける限り 誰かを差別し、格差を作りたがり、そして、嫉妬と羨望を生むであろうからだ。
日本を、当たり前に愛して住んでいれば それはそれは風光明媚な美しい国であるのは間違いない。
ため息の出るほど、世界の人が愛する自然を持った美しい国土と食べ物がある。
世界でこれほどの美しい国は ない。
ないのに、人間はその美しい海岸線に 醜いコンクリートの原子力発電所を54基も作って喜んでいた。
そして、無茶苦茶にした。
今、龍馬さんがこの日本を見て、何と言うだろう?
私には はっきりと 聞こえる
「これが人間の国か?」
と。
日本中、差別があった。
差別を打破したい。
それを願い、実行した。
そして、それは、龍馬の死後 四民平等という形になった。
漁師も、将軍も 平等になった・・・はずだった。
新しい差別が始まった。
華族と平民 そして天皇家
そこから、外国へ侵略が始まり、三国人を差別するということが始まった。
韓国人、朝鮮人、中国人たちは、日本人から、差別を受けた。
軍人は 満州に領土を広げ、日本から移民してきた市民を差別した。
そして、アメリカに滅茶苦茶にやられて、それで 何もかも燃えて、それで終わった。
マッカーサーがやってきて民主主義と憲法9条を置き土産にして、帰った。
日本は、また民主主義と平等社会を手に入れたように見えた。
外国人の力士が相撲をとり、在日外国人が多くの企業を起こした。
そして、龍馬の意思は、ようやく明治1868年以降、130年あまりでようやく 達成しはじめたように、表向き見えた。
しかし、格差ができた。
馬鹿な人間は、それを二次元でしか見ることが出来ず、単に 「勝ち組と負け組み」と割り切った。
金を儲けることや権力を握ること、そういうことを どうやら、勝ち組と言うらしい。
そして、そうでない人間を、負け組みと言うらしい。
踊らされた。
多くの人間はそれで、踊った。
だが・・・
その結果、日本には54の原子力発電所という恐ろしい者で取り囲まれていた。
原子力発電所は、それ自身が 放射能を持つ恐ろしいものだった。
だが、日本人は虚ろで、おぼろげな 嘘の繁栄におごった。
バブルは弾けたが、それでも、日本人は、そこまで深刻ではなかった。
東京は、相変わらず、渋谷の輝きがあった。
「日本は本当に景気後退なのか?」
と、私のユダヤ人の友人は、渋谷でつぶやいた。
彼は、口をあんぐりと開けて、渋谷の昼間のような電気の下でしばらく動かなかった。
今から、6年前の話だ。
私たちは六本木ヒルを、歩いた。
雨が降っていた。
だが、その雨は放射能をまだ含んではいなかった。
私は、日本の反映はまだまだ続くことを 一瞬たりとも疑ったことは無かった。
形あるものは壊れる。
そんな簡単なことさえ、見失わせるほど、町中には偽者の光が満ち溢れていた。
私たちの国は、また無茶苦茶になった。
いや、なった というのは正確に言えば 間違いである。
無茶苦茶に、なりつつある・・・がより 正確な表現であろう。
これから、何年ものあいだ。
日本は、どんどんと悪くなる。
それは、なにも経済に限って言っているのではない。
食べ物、空気、水 土地 人心、それらは これでもか、これでもか と続く災害のなかで、ますます荒廃していくであろう。
災害は自然のものと人工のものとの両方によって、絶え間なく、長い期間・・・・終わるとも思えないほどうんざりとするくらい長い期間 襲ってくるだろう。
自然の災害だけならば、半分かあるいは、それ以下で済んだかもしれない。
だが、人災は、終わらない。
なぜなら人間がいる限り、その人間が馬鹿であり続ける限り 誰かを差別し、格差を作りたがり、そして、嫉妬と羨望を生むであろうからだ。
日本を、当たり前に愛して住んでいれば それはそれは風光明媚な美しい国であるのは間違いない。
ため息の出るほど、世界の人が愛する自然を持った美しい国土と食べ物がある。
世界でこれほどの美しい国は ない。
ないのに、人間はその美しい海岸線に 醜いコンクリートの原子力発電所を54基も作って喜んでいた。
そして、無茶苦茶にした。
今、龍馬さんがこの日本を見て、何と言うだろう?
私には はっきりと 聞こえる
「これが人間の国か?」
と。