昔、子供だった大人達へ

2008-05-05 00:13:18 | 日記風
 中にはいます。一見見た目はクールなんだけど。個人的に親しくなると、全く違う性格な人。凄いお茶目な面を発揮して。そのギャップに「彼って素敵っ」と思わせる人。

 見た目クールは、顔や雰囲気が一見そうなだけで、性格がクールってわけじゃない。

 私が好きなのは性格がクールな人のこと。
 そういう人は元々の性格、育ちに理由がある。

 クールな態度を取る人とは、極端に感情表現が上手くできない。
 
 本当は凄いはしゃぎたがりかもしれない、見て批評してるだけなら凄いお笑いセンスをもってるかもしれない。
 それを自ら表現する手段を習得していない。
 
 難しい言い方をしなくても。単に淋しい家庭で育ったから笑うと言うことの意味を知らない。
 
 この場合の淋しい家庭って、両親が揃ってないとかじゃなくて、揃っていても冷えた家庭。恐らくお父さんもお母さんも淋しい家庭に育っているから、家族で笑いあう感覚を知らずに育った。だからやはり淋しい家庭しかできなかった。その中で育った人ってこと。

 人は知らないことはできないのです。

 それでも親の元を離れて明るい仲間と接せれば、どんなに隠していても本来のお笑いセンスがボソッと出たりして、「あいつ普段無口なのに、意外と面白いな」といじられて、意外な人気者となってクールってイメージからは程遠く脱却していくかもしれない。

 でもクールのまま育つ人って、それをも跳ね返す恥ずかしがりだと思う。
 ちょっと「面白いな」なんて言われても恥ずかしさの方が勝って自分で自分のもう1面を封印してしまう。

 もしかしたら、誰よりも淋しがり屋かもしれない。
 家の中が淋しかったから淋しいことに慣れている。慣れるって自分がどんなに淋しくても淋しいと感じることに麻痺してしまう。

 麻痺しなければらないほどに淋しいんだけど。

 1人でいることが平気な人ほど本当は淋しがりだと思う。仲間を失うことの淋しさを知っていると、あえて仲間を作ることをもうしたくないと思う。
 
 人は意外と逆説的です。

 クールな人は、意外にさびしがり屋の恥ずかしがり屋の、人に対して勇気の持てなっかった、そんな人なのかもしれません。
 
 それを覆してくれる男友達なり、女性なりが現れた時にだけ変っていく。

 その変化の時期を決めるのはクールな性格の人のみでしょう。

 クール好きとしては、そんな風にクールの性格を分析してみました。

 しかし、この手の男性、面倒くさいと言えば果てしなくそうです。

 こういう人を変えてくれるのは、本当に暖かい明るさを持った人のみだと思う。
 私のようなタイプじゃないことだけは確かだ。 
 

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