あと数年で、林に覆われてしまうだろう。
さあ引き返そう。
この雑草は、廃墟に生えているものと同じ種類だな。
廃草と名付けよう。
木枠がある。
戻ります。
隧道探索って真っ暗なので、少し馴れるまで薄気味悪いんですよね。(笑)
戻って来ました。
隧道は死んでいるのに植物は元気に増え続ける。
また藪漕ぎして戻ろう。
1943年、単線化で、レールは撤去された。
*状態は良好で、探索し易かった。
結構長いトンネルだったので、歩き甲斐があり、しっかり見学出来、良い体験が出来た。
これだけの物なので、旧三津坂隧道の様に保存して、観光スポットにすれば良いと思ったのだが、隣に現役線が通ってて危ないので山に還した方が良いのかな?
(Wikipedia)
●御殿場線の歴史
「東京 - 大阪間の幹線鉄道の一部として1889年に国府津 - 御殿場 - 沼津 - 静岡間が開通した。1896年に線路名称が制定され東海道線と命名、1909年には主な幹線を本線と称するようになり、東海道本線となった。
この間の1891年の小山(現・駿河小山) - 御殿場間を皮切りに現在の御殿場線にあたる区間の複線化が進められ、1901年には国府津 - 沼津間の複線化が完成した。
1934年、丹那トンネルが開通して東海道本線を熱海経由に変更、国府津 - 御殿場 - 沼津間は御殿場線となった。当初線名は「箱根支線」・「箱根線」・「函北線」・「富士山線」など様々な候補があったというが、御殿場町(後の御殿場市)の請願によって現在の名称に決定されたといわれている。しばらく複線運転を行っていたが、1944年に山陽本線に編入された柳井線(岩国 - 柳井 - 櫛ヶ浜、この区間の山陽本線は1934年からその時まで現在の岩徳線ルートを採用)や、横須賀線の横須賀 - 久里浜間建設へ転用するため、片方のレールが撤去され、1943年には単線化された。現在でも各所に複線時代の名残をとどめる廃線跡が散在しており、車窓から確認できる。
小田急電鉄の新松田 - 松田間の連絡線が1955年に開業し、新宿 - 御殿場間直通の準急が気動車で運転開始された。1968年に電化が完成し、小田急からの直通準急(1968年に急行化、現在は特急)も電車に置換えられた。」
(pentaxoptio/2008.10.18 12.16 投稿キャプテンハヤト)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます