運命は切り開いていくもの
運命は堪え忍ぶにはおよばぬ。例えば偶然に、山から石が落ちて来た時に、死ぬ時は死ぬ。助かる時は助かる。耐え忍んでも、忍ばなくとも、結局は同様である。我々はただ運命を切り開いて行くべきである。正岡子規は、肺結核と脊椎カリエスで、永い年数、仰臥のままであった。そして運命に耐え忍ばずに、貧乏と苦痛とに泣いた。苦痛の激しい時は、泣き叫びながら、それでも、歌や俳句や、随筆を書かずにはいられなかった。その病中に書かれたものは、随分の大部であり、それが生活の資にもなった。子規は不幸のどん底に有りながら、運命に耐え忍ばずに、実に運命を切り開いていったという事はできないであろうか。これが安心立命ではあるまいか。
(森田正馬全集第5巻、261頁)