大阪水曜ほっと集談会一世です。
森田を学ぶとは、安易な理論の習得だろうか?
私はそうは思わない。
自分自身(神経質性格)ついてより深く知ること。
さらに気がつけば目の前の事に手を出してふと自分の症状を忘れていること。
そしてさらに自分だけだと思っていた差別観から解放され、少しずつ自分と他者、外界との境界線が狭まりハードルが低くなっていることに気がつく。
やがて卵の中の世界から殻を破り大きな世界に羽ばたいていく。
森田を学ぶということは、私にはそのようなイメージを感じさせる。
自助グループ内で、実践が大切であるとか、治らないのは森田理論がまだ、理解できてないとか言う発言を聞くことがある。
果たしてそうであろうか?
そもそも森田理論を学んで症状を克服するという発想が誤りではないか!
症状は克服すぺきものでも、克服できるものでもない。
ここが分かっていなければ何十年森田理論を学ぼうが、いつまでも不完全感に、とらわれることになる。
森田博士は私たちが、神経質性格に生まれたことを感謝すべきであろうと言われています。
私たちは森田を学ぶことで神経質とは何か?
自分が何者であるかということを学んでいる気がするのです。
そうでなければ、いつまでも症状を敵にして排除しようと、一喜一憂するだけの、ハウトゥーで終わってしまう気がするのです。
2023.9.22 一世