あなたの中で残り続ける言葉はなんですか?
大好きな人に言われた「愛している」でしょうか。
それとも尊敬している人から言われた「大丈夫」でしょうか。
あるいは友人から言われた「信じている」でしょうか。
ひょっとしたら、好きな人に言われた「嫌い」かもしれませんね。
僕の中に残り続ける色褪せない言葉は、大好きな人に言われた「ありがとう」です。
僕もその人にとっての色褪せない言葉を送りたいです。
あなたの中で残り続ける言葉はなんですか?
大好きな人に言われた「愛している」でしょうか。
それとも尊敬している人から言われた「大丈夫」でしょうか。
あるいは友人から言われた「信じている」でしょうか。
ひょっとしたら、好きな人に言われた「嫌い」かもしれませんね。
僕の中に残り続ける色褪せない言葉は、大好きな人に言われた「ありがとう」です。
僕もその人にとっての色褪せない言葉を送りたいです。
日本に住んでいると漫画に触れる機会は必ずあるでしょう。それくらい日本社会には漫画が溢れているし、定着していると言えるでしょう。小さな子どもから年を重ねた高齢の方まで、その対象は幅広いように思われます。
僕自身、漫画は嫌いではないし、むしろ好きなほうかもしれません。「大の大人が・・・」という声が聞こえてきそうですが、僕が幼い頃から漫画は身近なものだったし、それがそのまま身近にあり続けているだけのような気がします。
僕は小説や新聞と同じように、漫画から沢山のことを学んできたし、たぶんこれからも変わらず学びの方法として存在するでしょう。もちろん娯楽としても必需品に違いないですしね。
ここまで日本社会に浸透している漫画は十分に「文化」ではないでしょうか。そう思っている人は沢山いると思いますけどねぇ。
そうすると、次に来るのは「ゲーム文化」でしょうか?僕はこれには乗り遅れてしまいそうです・・・。
最近はブログの更新がなかなか出来ません。書きたいことは沢山あるので、時間を見つけて書きたいと思っているのですが、仕事面・プライベート面で忙しくなり、毎日更新は難しく、2日に一回くらいのペースになってしまっています。
初めは、何を書こうか迷っていたブログですが、特にテーマを決めずに日々感じることや思っていることを書くことが、今は楽しいです。人に見られることを意識することもありますが、なるべく素の自分を書きたいと思っているのです。
僕は日記をつける習慣もないし、写真や想い出の品を取っておく習慣もありません。そんな僕にもこのブログには僕の足跡が残されているのです。いつの日か、僕はブログを書かなくなるかもしれません。或いは、この世から居なくなるかもしれません。
でもここには「今」を積み重ねた僕がいます。もし僕が居なくなっても、このブログを見てくれた人は僕の存在を知ってくれるでしょう。将来、息子が見て何かを感じるかもしれません。
あの人のブログもこの人のブログも、その人たちの「今」を積み重ねた足跡なんですね。その足跡を少し覗かせてもらいますね。
日常生活を送るときに必ず身に着けるもの。それは「財布」「携帯電話」「腕時計」です。
僕の場合、腕時計がかなりのウェートを占めます。別に財布が無くとも買い物をしなければ問題ありませんし、携帯電話が無くともそんなに電話がかかってくるほど知り合いもいません。しかし、時計が無いと戸惑ってしまうのです。
仕事柄、人と時間を打ち合わせることが多く、またスポーツをしていると時間を気にすることも多いです。つい腕時計を見てしまいます。自分では時間に縛られる生活はしたくないと思っているのですが、現実は思いっきり時間に縛られています。もっとスローライフしたいです。
ところで腕時計というとアナログでしょうか?それともデジタルでしょうか?僕はアナログが好きなのですが、スポーツの時はどうしてもデジタルが便利です。アナログだと現在の時間から約束の時間までがどれくらいなのか、すぐに知ることが出来ます。しかしデジタルだと計算をし直さないと出てきません。逆にデジタルだと子どもは読みやすいので、すぐに何時か答えることが出来ます。アナログだと慣れるまで子どもには読みにくいようで、なかなか答えてくれません。
それぞれの長所・短所がありますが、結局は自分の好みとなるのでしょう。僕もそろそろ買い換えようと思いますが、さあどちらにしましょうかねぇ?
でも腕時計すると日焼けした時に「時計焼け」して恥ずかしいんですよね・・・。
遂に台風14号が広島にもやってきました。雨・風ともに強く、各地で被害を出しながら進んでいるようです。台風に限らず、自然災害の場合は特に「災害が来る」と分かっていても、なかなか被害を防げるものではありません。
よく考えれば、日本人は災害に遭うべくして遭っているように思います。
例えば「地震」。何年も前から近しい将来に東南海地震があると言われているけれど、名古屋や静岡に住む人たちは住み続けています。
或いは「火山の噴火」。富士山や阿蘇山がまた噴火する可能性があると知っていても麓に住む人たちは住み続けています。
はたまた「台風」。毎年やってくる台風の通り道になっている沖縄に住む人たちもそこにすみ続けています。
彼らは何故そこに住み続けているのでしょうか?災害に遭う可能性が高いと知っていながら・・・。
それは、災害に遭う以上のものが、そこにあるからなのでしょう。三宅島で噴火に遭った人たちが口を揃えるように言っていました。「またあの島に帰りたい」と。自然を受け入れ、自然に負けない日本人の姿がそこにありました。
今年が国勢調査の年だと知っていますか?国勢調査は5年に1回行なわれていて、統計を取ったりして、今後の政策などにも活用されるようです。
前回の調査の時は、ちょうど離婚問題で揉めている頃だったので、よく覚えていません。その前は学生だったので、怪しそうなおばちゃんに無理やり書かされたように思います。これって国民の義務らしいので、答えなかったら禁固刑とか罰金があるんですよね。
今年は何故か調査員とやらになってしまい、ただでさえ忙しい9月下旬から10月上旬(介護保険の改正と重なるので・・・)に皆さんの調査をさせてもらわなければなりません。
今日はこの調査員の説明会があったのですが、僕が想像していたより沢山の人が調査員になっていました。それも年配の方が多かったです。明らかに僕は場違いでした。
この説明会で僕が不思議に思ったことがありました。それは「犬に咬まれないように注意しましょう」という説明でした。それが調査員の手引きに書いてあるんです!えっ、それってわざわざ注意書きしなくてはいけないことなの?僕はつい噴出してしまったのですが、皆さん真剣に聞いていました。う~ん、ますます場違いなところに来たもんだと感じました。
とりあえず、今月末から怪しいおじさん・おばさんが訪問しますが、協力してあげてくださいな。もちろん、僕みたいな好青年が現れたなら、何も言わず協力してあげてください。(笑)
先日、「仲間」で書いた中学生のサッカーの試合が終わりました。胸がいっぱいで何から書いたら良いのか分かりません。
結果から書くと、今日の最終戦が決勝戦となり、勝ったチームが次に進める試合でした。しかし、残念ながら0-2で敗れ、三年生にとっての最後の公式戦が幕を閉じました。
負けて悔しいです。これは正直な気持ちです。本気で勝てる(たとえ相手がサンフレッチェの下部組織であっても)と思っていたので、悔しいです。
でも選手は頑張りました。力を出し切ろうと必死にプレーしてくれました。おそらく、見ている関係者全てがそのプレーに拍手を送ってくれるのではないでしょうか。僕も胸がいっぱいになりました。
これで三年生は一つのチームとして公式戦に出場することはありません。それぞれ個人として進路を決めたり、サッカーと関わっていくことになります。僕はこの学年にすごく思い入れがあったので、まだ気持ちの整理がついていません。中学生を指導しているのだから、いずれ旅立っていくことは分かっています。でもまだまだ関わっていたいのです。彼らの成長を近くで見ていたいのです。だから淋しいです。これが本音です。
ただ、僕とは違って、これから成長を続ける彼らは新しい世界に目を向けなければなりません。これを一区切りとして、また大きく成長して欲しいです。
そして、たまにで良いので、彼らのサッカーの基礎、人間形成の基礎となったこのクラブでの生活を思い出して欲しいです。そして元気な姿をみせて欲しいです。
先日、何かの記事で小中高学生の約90パーセント以上が塾に通っていると書いていました。それだけ、塾に通って勉強をするのが当たり前のことなのでしょう。人気のある塾では、塾に入るための選抜試験があるのだとか。
実は、僕は約30年間、塾というモノに通ったことがありません。(サッカーを除けば)だから、塾がどんなところか想像つかないのです。周りの友達は殆ど塾通いしていたし、模擬試験だの塾の宿題だの、よく勉強していたように思います。僕はといえば、サッカー三昧で遊びまわっていました。
僕は決して勉強が出来た方ではありませんが、その後の人生でさほど困っていません。本当に知りたいことに関しては自分で調べ・学べば良いことを知っているし、人に聞くことも恥ずかしいとは思いません。プライドが無いのかもしれませんが・・・。(笑)
塾を否定するつもりは全くありませんが、塾が勉強の全てではないことを知っていて欲しいです。そしてそこで学ぶことが全てでは無いことも。
塾に通っている人たちには、それは一つの手段であって全てではないのだから、もっと遊びませんかと誘いたいです。これはあくまでも塾通いを知らない人間の戯言です。
この週末に、僕が関わっているサッカークラブの中学3年生にとって最後の公式大会の試合があります。もちろん勝ち進めば、10月の県大会や12月の全国大会に進めるわけですが、もし負けるようなら、このチームでは最後の公式試合となってしまいます。
僕が指導者としてこの学年に関わって約3年半。彼らは選手個人として上達してきたと同時に、チームとして成長してきました。それは個人スポーツでは、経験できないものかもしれません。
今日、練習後に話をしました。「自分たちは素晴らしい仲間だ。苦しい時でも仲間を信じることが出来るし、助けることも出来る。試合でもきっと仲間のために力を出して、支えることが出来るはずだ。僕はそういうチームだと信じている」と。
言ったことは在り来たりのことだと思います。でもこんなに純粋に信頼できる仲間とサッカーが出来るのは最後かもしれないのです。彼らにそれに気付いて欲しかったのです。
中学生年代という非常に難しい成長期に彼らは随分と人間的な成長を遂げてきたように思います。それは仲間の存在が大きかったのでしょう。彼らはサッカーを離れても、驚くほど仲の良い仲間なのです。
僕も彼らの仲間として、やれることはやってきました。後は力を出し切れるように支え、信じていようと思います。