千燈明、祭りの1っか月前、古来は千本の燈明をあげとったらしいけど
らん丸が幼少のみぎりは、児童が作った灯篭(行燈)を神社の周りにあげていたが
最近は夏祭りか祇園さんに移行しているのかな?
こんな、千燈明ということばも祭りの中から忘れられてきたみたいや
と云いながらも、提灯立てがたったら、ここからは祭りに向かってまっしぐら
心も浮き浮きとしてくるで
大西の丁
小西の丁
中の丁
東の丁
北の丁
駅前丁
南の丁
お宮に向かって撮影した松原の提灯立合計7基を櫓畠から順に並べてみた
中村境界
提灯建て 子供のころからそう呼んできたが妻鹿の友達から、
“松原はにっさん(日参・日傘)と呼ぶんやな~”と云われた。
“そんなことないで~、提灯建てとよんどるけどな~”と返事したんやけど、
確かに旧松原村でも日参(日傘)と呼ぶ声も聞こえてくるみたいや。
其処で七村でどういう風に読んでいるのか調べてみた
提灯建て : 松原・妻鹿
にっさん(日参・日傘) : 中村・宇佐崎・東山・八家
鳥居 : 木場
こんな状態やった
80歳位の古老に聞けたらもう少し古来の呼び名が違うかもな
もう一つ、祭りの14日妻鹿の宮入りを待つ間、
やっさ(屋台)を境内に据えとったんや、その場所にあった松原のやっさの礎石が取り払われた
色々な背景があるんやろうけど・・・
ここの祭りは 伝統と云うものが次々と変わって行くな~