~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~
講演集 一
「お茶、ご飯、線香、経文の供養」
さて皆さんもご経験あるかも知れませんが、霊が入って来て、
お茶が欲しいとか、水が欲しいとか、経文を唱えてくれとか言われます。
その殿様ともいろいろと話をいたしましたが、
「わしはお茶が欲しいんじゃ」と言われるのですけど、
「あなたにはお茶は差し上げません。
いくらお茶を召し上がっても、
それによってあなたは救われません」と言ったのです。
「今日まであなたの子孫が、数え切れないぐらいのお供物をしてくれたでしょうが、
それによってあなたは救われていますか」と言うと、
救われてはいないのです。
「ああ供えてくれたなあ」という一時の心の納得というか、
供えてくれたという思いはあるのですけれども、
いつまで経っても満足を得ることはできません。
この世の物質、物によって救われることはできません。
だからご先祖様にお茶を供え、炊きたてのご飯を供えるのは、
「先祖様のお陰で、こうして今日も熱いお茶やご飯を頂戴できます」
と言って感謝の気持ちを形として表すのです。
それが本当のお供えです。
そうでなくて、「ご先祖様、食べて下さい」と言って供えてはいけませんよ。
多くのご先祖様が取り合いをして「俺の飯もうないわ」と、
必ずそういうことになると思います。
しかし極楽へ行くと「ご飯、お茶」と思えばすぐに出て来て、何の不自由もないのです。
本当の帰るべき世界、正しい教えというものを知っておりますと、
そんな供物はいりません。
さて、先程の話のように霊がかかりますと、
熱いお茶を丼に二杯三杯は見る見る飲み干してしまいます。
意識なしにです。
或る場合は線香が欲しいと言って、煙を外に逃がさないようにして皆吸ってしまったりします。
臭くて煙たい線香を嗅いで自己満足するのですね。
でもお茶も線香も救われる為には何の役にも立たず、そういう迷っている方は何回も出て来られます。
「お坊様の唱える経文の供養によって救われましたか」と聞きますと、
「あれは何にもならん。意味が難しくて訳がわからんわい」とおっしゃいます。
だからいくらお経をあげても何にもならないのです。
お経文の有難いのは、その意味を理解して、
そして日々の生活にそれを実践してこそ、経文の功徳があるのです。
~ 感謝・合掌 ~
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