添付のお写真は恩師「長尾弘」先生が法友から贈呈された白衣を着けて
カメラに収まったお姿ですが、ご覧の様にカスミがかかったようになっています。
恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
無償の行為とそれに伴う現象
先の続き・・・
今、皆さまの心に「ああ、私は幸せだ、私には何の苦しみもない、
本当に幸せだ」という方がおられますと、
その幸せは結果として現れていますから、
過去に喜びの原因をお作りになっていて、
今がその喜びの中にあるのです。
では、不幸にして今、苦しい、なぜ私は苦しいのだろう」と
いう人がございましたら、
それは苦しみの原因を過去において積んだから、今、
結果として苦しいのです。
原因があるから、結果が現れております。
ただ、させていただくのみ。一切の報酬を求めないで、
ただ、させていただくことです。
世の中に偉いといわれる人は数多くおられますが、
自らを捨てて他を生かそうと実践されている本当の偉い人は、
砂の中からダイヤモンドを捜すようなもので、
なかなかお見かけできません。
神理、正法を口にはしましても、思いにおいて、
言葉において、行いにおいて、
何とかして会員を増やそう、会員が減らないようにしよう、
或いはお金に困っているから寄附をしてもらいたい、長生きしたい、
などと言ったり思ったりしておりますと、これはもう正法
神理とは違います。「私こそ法の後継者、正法を伝えるのは私一人だ」と
自分のことを自分で先生、先生と言ったり、はっきりと嘘とわかっていて、
知らない会員を騙したり自らを正当化する為に人さまを非難中傷しながら、
「私は悪口は言ったことがはない」などと言っておれば、
これはもう帳消しですね。
教えの中にも誤りが出て来ます。
行いが間違っておりますと、正しい教えは説けません。
自分を捨てた、自己を犠牲にした、他の人への奉仕、
その行為の中に正しい教えが沸き上がってきます。