恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第二章 必要なのは正しい生命観の確立
◆死ぬとは何か◆
死を心安らかに迎えた方は、死後身体が硬直することはありません。
体も温かく、お顔も化粧をしたように美しくなっていらっしゃいます。
信じられないかもしれませんが、
これは実際に見聞した数多くの事例から言えることであり、
立ち合ったお医者さんも驚かれる事実にほかなりません。
日々の生活の中で常に、
「有難いなあ、私は幸せだなあ、何と幸せ者なんだろう」と
いう思いに満たされて生活をし、
人生を過ごしますと、死んだ時に硬くなりません。
いくら表面上はよい格好をして、着飾ったり、
人様に対しも偉そうに振る舞ったりしていても、
誤った思いや行いによって心の中に苦しみをためてしまっていますと、
あの世に帰る時に必ずその決算が出て来ます。
心の中に苦しみをためている方の場合は、
あの世に帰る日が近づくにしたがって肉体的にも
精神的にも非常な苦痛が現れてきます。
そして、いよいよ息が切れてまいりますと、肉体は硬直を始めます。
見ている間に冷たくなります。
悲しい雰囲気とともに硬くなり、
石さながらの硬さにまでなってしまうものです。
顔も、見るのも恐ろしい嫌な顔となります。
成仏なさった方のお顔が惚れ惚れと見とれるような
美しいお顔になるのとは対照的です。
本当は、自覚するとしないとに拘わらず、
世界中の人々が心の底から共通に望んでいらっしゃるのは、
いかに楽に死ねるかということではないでしょうか。
いかにこの世で幸せで健やかに生きることができるかということこそ
人類共通の関心事であるのとまったく同様に、
ごく自然なことであると思います。
いかに幸せに健やかに生きるか、そしていかに楽に死ぬか、
この二つは両方揃って互いに相補い合い、
完璧に調和した一生となります。
歴史的な人物によくありますが、
いくらこの世的に栄耀栄華を極めても、死に様が哀れなら、
その一生を羨む気持ちにはなれません。
昨今では生命維持装置等による延命措置が可能となり、
脳死や臓器移植の問題も出て来ました。
とすれば、今度は本人や周りの人々の選択の幅は広がります。
それにともない、生命倫理とか生命科学などの
領域も研究されてきています。
これまでは現代医学は肉体をただ物質として学んできました。
医療現場では、手術の成功を喜び乾杯する一方で、
患者本人は死んでしまっていたと
いうケースまであると聞きます。
しかし、いかに生命を維持させるかという技術上の問題もさることながら、
患者本人がいかに心安らかに死を迎えるかということこそ、
最重要課題のはずです。