恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第一章 或る愚か者の生涯
◆葡萄一粒で故郷を捨てた少年時代◆
私はずいぶん変わった子だったのではないかと思います。
それは、後になって思ったことです。
「忘却は神の愛である」ということが言えると、つくづく感じます。
何から何まで覚えていたら苦しいことが多いでしょう。
人間がもし完璧であれば、過去をふりかえって反省する意味もないわけです。
年に一回、開催する富士宮市での反省研修会では、
自主的に参加される皆さんにそれぞれの過去へと溯っていただいて、
自分自身というものを深く知っていただきます。
自分の人生に影響している過去の過ちや心の傷というのは、
潜在意識の深いところに隠され、埋もれたまま、
なかなか思いだすことができないようになっています。
それを思いだそうと皆さんずいぶん苦しい思いをされます。
しかし、心の誤りがわかった時には素直に神様にお詫びして、
その償いを行為に表していくことが、
結局は自分のこの世の人生もあの世の暮らしも幸せに導くことになります。
或る時、
反省した折りにそれまでは埋もれていた幼年期から少年期にかけての記憶が
鮮明に戻ってまいりました。
四十何歳まで忘れていた幼い時から少年期にかけての記憶がよみがえってきました。
それまでは十七歳以前のことは記憶にありませんでした。
その年齢を境に家を出ました。
十六歳の時のことです。
大和川に沿ったその地域には四枚の田があって、
早朝その見回りをするのが私のつとめでした。
というのは、秋になりますと稲穂の実る収穫期に入りますが、
雀が集まってきてこれをついばんでしまうと
お米が実らなくなってしまうからです。
雀が田を荒らしていないかどうかを自転車で見て回るのが、
学校に登校する時刻までの私の役目です。