浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

「御垂訓」

2021-06-01 01:01:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

       ◆仏壇とお墓――誤まった生命観からの迷い◆


もし、私は死んだらお仏壇の中に祀ってもらうのだとか、
お墓の中に入れてもらうのだと思っておりますと、必ずそこへ行きます。
死ねば肉体がなくなり、思いの世界、心の世界だけとなりますから、
この目に見える現象世界よりももっと精妙な波動の想念が写し出す世界に
住むことになります。

思ったことはこの現象世界よりも速く、そのままに現わされてまいります。
だから、死んだ後にはあの世などなく、無に帰すまでだと信じている方は、
行く先知らずとなります。
ところが、亡くなってもなお意識があるとわかり、はじめて、戸惑いますが、
生き場がないのでさまようしかありません。

そうかといって、お仏壇やお墓に入るものと思っていればそこへ行き、
やはり成仏はできません。
つまり、光あふれる素晴らしいふるさとに帰り着くことはできないのです。
死んでお仏壇やお墓の中に入ってはなりません。
これまで私たちの考えていたこととは違うかもしれませんが、
お仏壇やお墓はこの世の現象世界の物質です。
その物質に心をとらわれていては、そこから心が離れられず、
成仏できません。

以前、四国に行きました時に、
死んでお墓に入ってはいけませんと話していますと、
あるおばあさんが「私は毎日お墓へお参りして、
どうか早くお迎えください。
ここへ入れてもらったら極楽です、
と言って頼んでいます」と言われます。

「それはいけません。もし、不審に思われるのだったら、
今夜一晩おひとりでお墓に行って寝てみてください」と言いますと、
「いやいや怖い怖い、あんな所ではよう寝ません」とおっしやいます。
生きていて怖い場所は死んで行ってもやはり怖いのに決まっています。
同じ意識を持った自分が行くのですから。



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