恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆自分の心を苦しめては幸せになれない◆
先の続き・・・
都合の悪いことは何でも環境や境遇のせいにしてしまう癖がつくと、
そのうちに過去に溯って、育った環境が悪かったとか、
時代が悪かったとか、親の育て方が悪かったとか、
こんな相手と結婚したばっかりに不幸になってしまったなどと
言いだしかねません。
これでは心の進歩はありません。
すべての原因を環境や時代や境遇に求め、物や人のせいにするなら、
自分の心は変わらなくていいことになるからです。
過去に思いを果たせず挫折したり、失敗したりしたことから、
落胆の思いが現在まで続いており、
積極的に新たな取り組みをする気力を失ったら、
これも自分が損です。
過去のせいで残りの人生までもが決定的にダメージを受け、
もうどうしようもないのだと
心を沈ませながらどうにかやっと生きているのです。
重い足取りで歩いてゆくようなものです。
心は数々の記憶への執着とか悲嘆の思いが詰め込まれています。
砂袋のように重い心です。
前の章に述べたとおり、死んだら心だけになりますから、
その重い心はもし地獄があれば
そこに落ちてしまいます。
また、過去の過ちをいつまでも悔い、
罪悪感にとらわれている場合もあります。
これも心に重荷を負い、
自らの心を苦しめていることに変わりはありません。
人は誰でも過ちを犯します。
それを二度と繰り返さないことができたなら、
その過ちゆえに心が進歩したことになります。
しかし、これと反対に過ちゆえに自分の心を苦しめることは、
正しくありません。
「悔い改めた時、汝の罪は赦される」というのも真の神の御心です。
「過ちを改めるのに憚ることなかれ」とあるように、
自分が間違っていたと気付けば、
心を素直にし、勇気をもって悔い改めればよいのです。
過去の過ちのために自分を責め、心を苦しめたらいけません。
必ず不幸になります。
自分の心なのだから苦しめたって勝手ではないかと言う方も
いらっしゃるかもしれません。
これは自分の肉体なのだから自ら命を絶っても
かまわないじゃないかと言うのと同じ大間違いです。