浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「御垂訓」

2021-06-11 23:59:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

            第三章 天上界への道

        ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆


先の続き・・・

それまでは想念の厚い雲が実在界より来る神様の光を遮っていたわけですから、
この曇りがなくなれば現象界のほうにまでその光が届き、差し込んできます。
霊魂の器の内部に神我はあります。
表面意識のほうから見れば、いちばん内奥にある意識です。
想念の曇りを除きつつ奥に分け入ってはじめて到達できるのが、
潜在意識の最深部にある神の分け御霊としての神我であり、
キリスト意識であり、宇宙意識です。

ところで、私たちの命のふるさとは、
個別の霊魂の容器の彼方に無限に広がる大宇宙体を
つかさどる一つの偉大なる意識のほうにあります。
コップの口のあいたほうです。

肉体の五感に影響された理性、知性、本能、感情などから見て、
神社仏閣や教会やお墓や仏壇などを死後の世界とイメージで
結びつけたがるのは、単なる習慣上の思いにすぎません。
まったく想念が浄化され、なんのとらわれもない
自在無礙の空そのものの意識になってしまいますと、

仕切り板がなくなったコップを常に神様から来る光が
サァーッと突き抜けいく状態となります。
その時、この世の現象界にまであの世の実在界の光が完全に通り、
すでに心は自由にこの世とあの世とを往還できるようになっています。
この世に肉体がありながら、もはや心は肉体の五感にとらわれずに、
自由自在に意識を働かせ、宇宙大に意識が拡大しています。

こういう方を如来と呼びます。
如来という言葉には、「来るが如し」という意味があります。
それは、今説明させていただきましたような、
あの世の実在界のほうから来た神の光その
ままであるということなのです。
つまり、この地上にあっても、肉体の五官に振り回されずに、
神様の御心を行いに具現し、

その存在自体が神の御姿を如実に示し現わすことができたなら、
その時その人の心は如来の心と言えます。
又、神人とも言えます。
心の奥にある神我に到達せんと心を磨き、
少しでも如来に近づく努力をしていこうとする人が増えれば増えるほど、
この地球世界は実在界の写しのような大調和した理想世界となってきます。
仏国土、ユートピア、神の国、地上天国などと呼ばれる世界です。


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「御垂訓」

2021-06-11 00:20:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

                  第三章 天上界への道

             ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆


先の続き・・・

そのためには、今迄に述べましたように、思いのスモッグが晴れて、
生命のもとの神からの光が入ってこなくてはなりません。
その思いのスモッグが発生する場所は、図1(先日投稿)で説明しますと、
コップの中を二つに仕切っている仕切り板
(想念帯と呼ぶことにする)のような思いの層となります。
だいたい一対九くらいの割合でコップの中の空間を仕切っています。
これを境にしてコップの開口部のほうが五官を超えたあの世、実在界、
反対の方向が五官の世界、この世、現象界ということになります。

五官の感官により生ずる思いの層には、
自己保存や自我我欲といった所謂エゴの生み出す煩悩もたまり、
それらが思いのスモッグのように厚い堆積層となって
実在界から来る光を遮っています。
そこで、これがだんだん薄くなり、
実在界のほうから差し込んでくる神の光が現象界の
表面意識にまで通りやすくなってくる必要があります。

それには自分の心を見つめる反省をして、
自己の想念行為の過ちに気付かなくてはなりません。
想念帯には日々のいろいろな感情や考えが完全に
行為に表わされ消えていかずにたまっていて、
過去に犯した過ち、思い出したくない不都合な出来事の記録、
不愉快な感情までも押し込まれ、記憶の底に沈んだり、
たまに浮上してきたりします。

それは丁度録音テープに記録されているようなものです。
心の発する叫びや独り言や雑音までも想念帯に記録されています。
また、遠く過去世にさかのぼる想念感情もあります。
すべて肉体の五官にまつわる想念感情です。

それが心に曇りをつくり、神の光を遮る原因となっています。
反省をしていくと、この部分に照明が当てられ、
しだいに沈んでいた想念が表面意識のほうに映し出され、
浮かび上がってきます。

それを悔い改め、償いの善き行いを積んだ時、
過ちの原因だった不調和な想念は、
明かりがもたらされて闇が去るように、
想念帯の中から消され、取り除かれてゆきます。


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