~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~
講演集 一
「自分を犠牲にして愛を与え、差別せず報酬を求めない太陽」
私のとても好きな言葉は「太陽の心」です。
太陽は太陽そのものが燃えさかって、自らの身を燃焼させ犠牲にして、
その結果として現れた熱と光、つまり慈悲と愛ですね。
この慈悲と愛を他へ与え給うのです。
自分を犠牲にしてその結果として生まれたエネルギーを
他へ与え給うのです。
宗教の宗とは宇宙を示すと書きます。
宇宙を示す教えがほんとうの宗教であり、
しかも最も近い宇宙は太陽です。そして太陽系です。
その最も身近な太陽系が、
生きざまを自分の姿をもって教えて下さるのです。
それは自分を燃え上がらせ、自分を犠牲にして他に慈悲、
愛を与えなさいという姿として太陽の中に表わされています。
どんなものにも差別をしない太陽は、病人も、健康な者も、
身分の高い方も、天皇、大臣、名もない者も、
皆平等に光を与えて下さいます。
私達もすべての人と平等におつき合いせねばなりません。
あの人は都合が悪いから嫌いだというのは、
すでに差別をしているのですね。
私の悪口を言ったからもう相手にしないというのも、これも差別です。
人種差別も、人の好き嫌いも、みな差別です。
いっさい差別してはならないのが神の教えです。
罰を当てない太陽の姿は、神の心を表しております。
神はいっさい罰を当てません。
外に出て太陽に向かって「バカヤロー」と言ってごらんなさい。
太陽がお前には光をやらないぞとは言われません。
燦々と与えて下さいます。
感謝する者にも、しない者にも、同じように熱と光を注がれます。
天に唾すれば自分に返りますが、これは引力の法則で、お日様は
唾をかけようとは思われないのであって、
自然の法則で唾が自分にかかっただけのことです。
私達も、もし過ちを犯せば自分に返ってきます。
天に唾するのと同じです。
私達も自分にとって都合が悪いからといって報復手段を取ったり、
言葉でもって悪口を言われたから言い返してやったというようなことをしたら、
太陽の心に背いています。
何を言われようと、「ただ、させていただく」その行為こそ神の行為です。
いくら慈悲を与えても洞窟の奥底へ逃げる人があります。
これは自ら逃げるのあって、太陽が与えておられないのとは違いますね。
逃げるから、光を避けるから届かないだけです。
ほんとうに大いなる神の光から遠ざかって人生を生きている人もありますね。
そのように太陽は自らを犠牲にして他を生かし給う姿、
万象一切のものについて差別をされない、罰を当てない、
報酬をお求めにならない。神様もそれと同じです。
ただ与え給うのみでいっさいお求めになりません。