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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2022-06-17 00:20:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 一

          「調和のすばらしさ」

この世に生まれた目的とは、前回でも触れましたが、
人々と互いに手を取り合って助け合い、
愛しながら調和を目的として生きることですね。
「調和」とは素晴らしい言葉ですし、
政治家も調和などとよく使っておられます。
調和とはバランスです。

どちらに片寄ってもならない。
やじろべえはどちらも重さが釣り合っているから、
細い先に立てても落ちない。
調和がとれているからで、
どちらかを重くしますと落ちてしまいます。
私達は日々の生活の中で常に、
そのどちらにも片寄ってはなりません。

例えば先程の母娘の場合のように、
姑さの為に付きっきりで夜通し世話をするのは良い行いです。
しかし子供を放っておいて、
バランスの重さが姑さんの方へ余りにも片寄り過ぎて、
子供への重さがなかった為に、不調和が起きていたのです。

バランスをとるというのは、
お姑さんの世話もしなくてはいけないと同時に、
子供さんへの愛も注がなくてはいけなかったのですね。
そのお母さんは後になって尋ねられました。
「姑さんの為に尽くしていたら、それは良いことだから、
その徳は子供に与えてもらえると思ったのですが―――」と。
いいえ、これは与えられません。

神は平等です。
姑さんに対してよく尽くされたことは親戚も病院も家族の方も皆、
この点についての評価はします。
しかし子供の心に寂しい辛い思いをさせた評価も、
間違いなしに受けるようになっているのです。
だから、日々の生活がいかに大切であるかということです。

良い事をしても、
そちらに重みをかけ過ぎたらアンバランスになります。
よく恋愛結婚をして好きだと言い合っていても、
子供ができますと奥さんの愛城が子供の
方へ行き過ぎて、その主人がヤキモチを焼くという例があります。
これなどもバランスが崩れるから主人が面白くないのですね。
調和を欠いているわけです。

ですから常に調和するように、
心の重さを検討しながら生活することですね。
でないと、いかに良い行いをしても不幸にはまる例があります。
それと良い行いをして、その後に自分の心を苦しめた時も、
せっかくの良い行いは悪に変わります。



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