浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2022-06-21 00:02:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 一

        「正しい真の信仰」

先の続き・・・

Oさんと言って一つの信仰をつくられた方があります。
信者さんからは神様としてあがめられております。
○○教の四天王の一人と言われた方です。
その流れを汲んで、Kさんという方が△△教というのをつくりました。
その教えは分裂して現在十いくつかに分かれています。

その中で特に△△教系統の信仰は、お清めと言って手をかざしますと、
よく霊が相手に乗り移ってくるのです。
這いず回ったりはね上がったり、泣き出したり、
わめいたりいろいろの現象が起きるのですが、
これは一種の憑依現象が起きているのです。
しかも成仏なさった方の霊の憑依ではなくて、
未成仏霊の憑依現象ですから、
すっかり不調和な恰好をします。

そういう不調和な霊が乗り移って来た場合、
却っておかしくなることがありますね。
乗り移られた者が不調和になります。
(参加者の一人の発言)「この近くに△△教の道場があって、
行ったことがあるのですが、いくたびに五千円要ります。
いただいたお守りを私は落としてなくしたから、
それを言うと罰金を出すように言われました。

その時一万円持っていたのですが、
全部出すと帰るのに困るから五千円を払って、
私はもうこれで止めますと言うと、
そのお金は受け取れないから奈良まで返しに
行ってくれと言われ、私はそのままにしていますが、
その時罰が当たると言われましたが何事も起こらず、
今日まで来ています。

罰は絶対にあたりません。
何故かと言いますと、神は無限の許しそして無限の愛です。
愛しい我が子に罰を当てる親がどこにありますか。
罰を当てるようなものは全部偽物です。
絶対に罰はお当てになりません。
大いなる愛、無限の許し、許しと愛の神様が、
なぜ人に罰を当てますか。
心丈夫でしょう。


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