恩師のご著書「講演集」より
講演集、 一
「正しい真の信仰」
先の続き・・・
(再びの発言」「△△教のことですが、
ちょっと行かないと車が迎えに来るのです」
あらゆる信仰は組織をつくりますが、
組織そのものに「業」があるのです。
だから私は死ぬまで組織はつくりません。
組織をつくれると、人に苦しみを与える結果があるのです。
組織という原因により苦しみという結果がでます。
組織をつくれば組織の拡大がその中に含まれるので、
信者さんに次の信者さんを増やさせなくてはいけない。
そして偶像を与えなくてはいけない。
組織はお金を必要とするから、
何らかの理由をつけて信者さんからお金を集める。
そしてたくさんのお金が集まると、
上部は何千万円という絵を買ったり、
宝物殿を建てたり、大神殿を建てたり、
財産争いをして喧嘩した結果分裂してしまうのですが、
喧嘩するようなものは不調和です。
仲良くするのが調和です。
なぜ偉い人が喧嘩をしなくてはいけないのか。
それは組織の故に、そして欲望の故に迷うのです。
神はビタ一文お取りになりません。
神はお金を絶対に必要とされないのです。
もし嘘だと思えば家の神棚にお札をお供えしてごらんなさい。
これは人間が取らない限り、ネズミが引いていかない限り、
永遠にそこに一万円札はあります。
神様が手を出して一万円札を取られたならば本当でしょうが、
絶対に消えることはありません。
それと同じことで、宗教教団がお金を供えなさい、
玉串料をあげなさい、
お賽銭をあげなさい、献金しなさい、と言いますが、
神はいっさいお使いにならず、使うのは全部人間なのです。
組織と人間が使うのです。
そう思いませんか。
例えば、神様にたくさんのお金を供えたとしますね。
そして生活の中で過ちを犯し死んで地獄に行って苦しいものだから
「神様、私はお金をたくさんお供えして一生懸命信仰したのに、
なぜ極楽に受け入れてもらえないのですか」
と尋ねた時、神様は「私はあなたから一銭もいただいておりません、
だから私は知りません」とおっしゃいます。
神様には届いてはいません。