浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2022-11-05 23:58:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

体験ほど強いものはありません。
体験を通して自分が実際に掴んだものは
間違いなしに人の心に入っていきます。
あちらこちらの講演会に行きますと、
居眠りをしている人や、皆がワイワイお喋りしている場合があります。
立派な先生でいい話をしておられるのですけど、
頭で学んで知識として得たものを口で語られるから居眠りが出るのです。

一生懸命皆が聞いておられる場合のお話は、
講師の先生が自分の体験を語っておられます。
「私はこのようなことをして、このようなことがありました」というお話は、
全部の者が耳をそばだてて聞くものです。
聴衆の態度ですぐ分かります。


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「御垂訓」

2022-11-05 00:12:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

   東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

かつて、十五、六年前ですが、
本当の教えを説く所はないものかと宗教遍歴をしたことがあります。
その時、S教に「入会はようしませんが、
その修業に参加させていただけますか」と伺うと、
「どうぞ来て下さい」ということで、何か月か通ったことがあります。
そこへ通っていた時に、K大学の体育館でT先生の講演会があり、
券を買って出かけたのです。
大きな会場ですし、集まった人も多いのですが、お話の間中、
皆がワイワイワイと大声で喋っているものですから、
全然講演を聞くことができないのです。
いや、これは法ではないと思いました。
法話の時は咳払い一つしてもならないと
お釈迦様の仏典の中に載っております。

ところが、前の演壇で大きなマイクを通して
話しておられるのですけれど、
話しの内容は全然聞くことができませんでした。
だから講演も、人の心を打たないような話しは真理ではないのです。
何故かというと、それは知識として話しをされるから
人の心の中に入ることなく、
皆がワイワイ話したり、居眠りしたりすることになるのです。
ただ、人の集まりだけのことになってしまうわけですね。


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