浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2021-05-16 00:45:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

              第一章 或る愚か者の生涯

        ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆


先の続き・・・

山道は草を刈らないでいれば、ぼうぼうに生い茂ってきて
両側から道を覆ってしまいます。
そこを通る人は自分の畑に野良仕事に行く父の他にも
少なからずいることでしょう。
そのままでは通行が困難になります。
そこで、父は一人で草刈りをします。

足下の歩くところだけでいいのにと幼い私は思うのですが、
周囲から草がはびこり生え重なってくれば、
また歩きにくくなってしまいますから、
ある程度まで幅を持たせて、広い範囲にわたって
草を刈らなくてはなりません。
こんな余計なことまでしなければいけないのか、
と私は思いつつも、
父から「こうせなあかんのやで」と教えられるままに
嫌々ながら手伝って草刈りをしたものでした。

よその人も通るのだから、よその人も手伝えばいいのに、
と思うものですが、
そんなことはおかまいなしに父はひたすら
奉仕の実践をしていました。
そんな心を私は小さい時より、両親から
その姿を通して教えこまれていました。
両親ともだからといって、
特に宗教団体に属していたというわけではなく、
私の兄が出征兵士として戦地に赴けば、
無事の帰還を願って神社やお寺にお参りする
などということがあった程度です。
母は富田林にあるお不動さんに月に一回お参りし、
父は高野山の弘法大師を信仰しておりました。

先祖代々の墓のある菩提寺は、融通大念仏といって
河内と大和一円に門徒を抱え、
阿倍野に大本山を持つ融通念仏宗のお寺です。
今でもお盆の頃の風習を思いだします。
寺にご先祖をお迎えにまいり、家で三日間おまつりして、
その間は毎晩御詠歌をあげます。
そして、盆明けのみたま送りの時には、送り火を炊きます。

さんだらぼっちともいって米俵の両端に当てる丸いわらの
蓋である桟俵の上に、野菜や果物を供えて、
薄い木札に長尾家先祖代々の文字を書いてみたま代とし、
蝋燭と線香を立てて、大念仏の門徒の用いる鉦をたたきながら、
家族そろって大和川までお送りします。

この融通念仏宗はもともと平安時代の永久五年(1117)に
良忍という方によって始められたものです。
華厳経・華経を第一とし、
浄土三部経を第二のよりどころとするものだそうです。
一人往生すれば衆生往生するというのが宗旨です。
この融通というのは、「必要な物や金を都合する」という意味ですから、
融通念仏の意味も、

もし自分が念仏を唱えればそれが他人のためにもなり、
他人が唱えればそれが自分のためにもなるというように互いに
融通し合うことができるところから来ているようです。
円融念仏とか大念仏とも呼びます。
父母や祖母の布施の実践、奉仕の実践、
自分のものと他人のものとの区別なく、とにかく
みんなにとって少しでも役に立つことを率先してやるという心も、
このあたりと相通するものがあると思います。


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「御垂訓」

2021-05-15 00:21:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

        第一章、 或る愚か者の生涯

   ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆


先の続き・・・

収穫した葡萄からは、腐った粒や成長していないうらなりの粒を、
先の尖ったハサミで摘んで除き(「サビを取る」と言います)、
良質なものだけを箱に詰めて出荷します。
この選り分けの作業を庭先で行うのですが、
母は決まって玄関口の敷居のところに座って、

表を通るかかる人々に「ひとつ食べていっておくんなはれ」と、
いつも見も知らぬ人たちにさしあげておりました。
私の父が偉かったのは、
一年もかけてやっと育てた大切な作物をそのように通りすがりの
見も知らぬ人にあげてしまう母に対して、
いっさい何も言わなかったことです。

ふつうならば、「もういい加減にせい」とでも言いそうなものです。
私の母は自分のところに食べるものがなくても、人には施してしまう、
そういう人でした。
その後ろ姿を見て育ってきたために、私は人に施すものだと、
ごく自然に思ってきました。

親から受けた感化と言えます。
しかし、これは母からばかりではありません。
父の行いからも私は教えられるところが多々ありました。
父からは無償の奉仕の実践を学びました。
いつしか当然のごとく、
布施と奉仕の実践をするという心が親の代から子の代へと
受け継がれ養われてきました。

昔の道は今と違って舗装されていない土の道でした。
リヤカーや荷車が通れば、その轍ができ、雨が降ればぬかるみとなって、
轍はますます深く掘られ、そこの水が溜まります。
父は畑に行く途中でも、デコボコになっている箇所を見つければ、
必ず道直しをしておりました。

道とはみんなが使う公共のものです。
雨が降れば山道でも上から流れ下ってきた水が道を掘り返し、
通りにくくなります。
それを頼まれもしないのに、
なぜ自分の父親だけが一人汗を流して直しているんだろう。
私は子供ながらに不思議に思っていました。
しかし、
それは奉仕の心と実践とを身をもって教えられていました。


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「御垂訓」

2021-05-14 02:06:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より ~

       第一章 或る愚か者の生涯

     ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆


太平洋戦争末期の食糧難の時代、
私の故郷にも都会から食べ物を求めて買い出しに来る
人々がたくさんおられました。
着物とか貴重品を持ってきて、お米や芋などの食糧に換えるのです。
いわば物々交換です。

私の母は、そういう人々がやって来ると、
お腹を空かせているだろうと、
お粥を大きな鍋に炊いて、
「ちょっと入って食べておくんなはれ。
ちょっと入って食べておくんなはれ」と
見ず知らずの人に呼びかけて家に入れ、
お腹いっぱいに食べてもらっていました。

こういう施しは仏教では布施といわれています。
もちろん、私の母は特にそんな言葉を
意識していたのではありませんが。
私の田舎は葡萄の産地でした。
収穫の時期ともなりますと、
畑で摘み取った葡萄をリヤカーに積み、
遠回りをして山道を運んできます。

しかし、母は別の近道をして山をこえて一人歩いて帰ります。
肩には葡萄の入った篭をかついでいます。
母は道の途中で行き交う人に「食べておくんなはれ」と言いつつ、
どんどんあげてしまいますので、家にたどりつく頃には、
篭の中は空っぽになっているのです。
これが母の楽しみだったようです。

私の母の母、つまり祖母になると、
さらにこの布施の精神は徹底していました。
「乞食さん」と当時呼んでいたのですが、
その乞食さんが家の門口に来たら、
家族が食べる分としてお釜で炊いておいた
ご飯も野菜をいれて大鍋で煮たおかずも、
「まあ食べていきなさい。好きなだけ食べなさい」と、
大きな釜と鍋ごと与えていました。

乞食さんが食べ終わるまで、家族は待っていました。
「もう腹いっぱいになりましたか」と祖母は乞食さんに聞いて、
それから家族は残った分を食べていました。
今の世の中ではなかなか聞けそうもない話です。
ホームレスの方々はだいたい一所にかたまって生活しておられるでしょうし、
一軒一軒物乞いをして歩く乞食さんの姿も今日では見られません。
ましてやそういう人に施しをされる方もおられないでしょう。


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「御垂訓」

2021-05-13 00:12:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より

               講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                     ご奉仕、許し


先の続き・・・

たくさんの荷物を背負っておりますと、
やがて避けることのできないあの世への旅をする時に、
その荷物の重さによって、まず三途の川で沈没をおこしますから、
荷物は軽いほうが結構です。
今こうして健康に生きさせていただく間に、
できるだけ荷物を軽く生きていきたいと思います。

せっかく尊いご縁を頂きまして、アッという間の二時間でございました。
又、ご縁を頂けましたら、私はもっと勉強をしてまいりますので、
どうぞこれに懲りることなく、私をご指導頂きたいと思います。
有難うございます。
ありがとうございます。(拍手)

今後は毎月呼んでいただけるそうでございますので、
私に対して「このようにして下さい」という
お気づきの点がございましたら、
どうぞ遠慮なしにお手紙なり、お電話なりで、
私を正しく導いていただきたいと思います。
よろしくお願いしておきます。
ありがとうございました。

司会者 

最後に、今日この場に集われました皆さんに、
先生から光を送っていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

先生 

自分の身体にどこか不調和なところ、痛いところ、
辛いところがありましたら、消してくださいと、強く心に思って下さい。
そうしますと、楽になると思います。
本当に楽になっていただけます。
何十年来の持病が治りましたという方もあります。
全然治らない方もあります。

「汝の信仰、汝癒せり」です。
自分の心から祈っていただいたら、神様が癒して下さいます。
―――では、お願いいたします。
「神よ、光をお与え下さい。この場に集う方々に
調和と安らぎをお与え下さい。
大なる神の慈悲と愛をお示し下さい。
願わくば光をお与えください。
今日このご縁を頂きまして、あなたのいとし子たちに、
あなた様のみ心をお伝えさせていただきます。

願わくばあなた様のいとし子たちに、あなた様の
祝福をお示し下さい。
この場所に集われた方々の肉体細胞集団はよく聞きなさい。
あなた達は神との約束を思い出しなさい。
神との約束とは大調和です。

不調和を起こしてはなりません。
神のみ心である変化の法に従いなさい。
そうです。調和に向かって変化を起こしなさい。
そうです。そうです。
細胞集団は調和しなさい。痛みを消しなさい。
不調和なる場所を消しなさい。
願わくば光をお与え下さい。神のみ業をお示し下さい。
大いなる神の慈愛を心から感謝します。
ありがとうございました。ありがとうございました。
ありがとうございました」
合掌


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「御垂訓」

2021-05-12 00:13:54 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

               講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                         ご奉仕、許し


先の続き・・・

人は誰でも過ちを犯します。
自分もまた過ちを犯したはずです。
その自分が人から過ちを許してもらって
生きさせてもらっているのですから、
人の過ちも許させてもらって当然です。

相手をただ許すと思うから許せないのであり、
相手を許すことによって、
自らが許していただけるのだということを知った時、
憎い方、うらめしい方、
腹の立つ方を許すことによって、怒り、恨み、憎しみから、
解放されます。
「許す」のではなくて、「許させていただく」のです。

許さない限り、相手の憎しみは、
死んだ後まで持っていくことになります。
しかし、出来事は、今を境として過去へ過去へと
過ぎていくものです。
今日のこのお話も、明日になればもう昨日という
過去へ過ぎ去っていきます。

喜びとか、こういう場所での安らいだ心とかを、
自分の中に大切にしまって
おくのは結構ですが、怒りや恨みや憎しみなどの心の苦しみは、
もう過去へ過ぎ去っていったものですから、
一時も早く自分の心から捨て去ることです。
嫌なものは、できるだけ早く捨て去ることですね。
その時、心の荷物が少なくなります。



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「御垂訓」

2021-05-11 00:27:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「講演集」より

            講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                   ご奉仕、許し


先の続き・・・

次にご奉仕です。
自分の隣人に「たださせていただく愛の実践」をすることです。
次に過去の許しがたい人を許すことです。
許し難い人であればあるほど、その人を許した時、
自らの心が大きくなります。
許せないから、私たちは許すことができなかったのですね。
しかし許さない限り、自分自身が許されないのです。
相手を許すのではなくて、心の底から許させていただくのです。

その時、その人を見ても、その人のことを思い出しても、
又、その人の話に触れても、腹は立ちません。
しかし、許しておりませんと、普段は忘れておりましても、
その人のことを聞いたり、その人のことを思い出したり、
顔を見たりしますと、「あの人は、

あの時、私にえらい目に遭わせた、許すことはできない」と言って、
その時の苦しみがそのまま再現されるのです。
苦しみがそのまま自分の心の中に蘇ってきます。
ですから、許し難い想念をそのまま死んでも
持っていかねばなりません。



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「御垂訓」

2021-05-10 00:03:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「講演集」より

            講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                          ご奉仕、許し


先の続き・・・

自分を大事にするとは、どういうことか。
「ああ、可愛い、可愛い」と、自分を可愛いがることは、
自分を甘やかしていることで、
真に愛した大事にしたことではありません。

繰り返し言いますが、
「怒り、妬み、謗り、愚痴、憎しみ、恨み、
取り越し苦労、不安、恐怖、貪欲」これこそが、
私たちの心を苦しめる原因であるということを理解して、
万難を排してこの想念を捨てることですね。
その時、幸せが約束されるはずです。


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「御垂訓」

2021-05-09 00:22:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より

            講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                         ご奉仕、許し


先の続き・・・

なぜそういう奇跡が現れるのかというと、
これは「愛の奇跡」だと思います。
私のことを、「あれは病気を治すだけの人だ」と
いう方もあるそうですが、
病気治しはあくまでも方便です。

ほんとうは、縁ある皆さん方すべてが幸せになってほしい、
幸せにならなくてはいけないという願いに満たされています。
人は、幸せになる権利を神から平等に与えられており、
しかも神は、「幸せになれ、健やかに生きよ」と言われます。
もし、自分の心を苦しめますと、それは神を冒涜し、
神に背いた行為なのだ、と思って下さい。

自分の心を苦しめることなく大事にしなくてはなりません。
私たちは、自らがいとしいように、他の方も、
自らがいとしいから自分を大切にするのと同じように、
他を大切にしなくてはいけません。


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「御垂訓」

2021-05-08 00:13:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「講演集」より

              講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                          ご奉仕、許し


先の続き・・・

どこへ行きましても、全く動けなかった方が、
その不自由さから解放されて、
自由に動き回ってくれる喜びは、
何ものにもたとえようのない深い喜びですね。
その喜びは全部私が頂いていきます。
それが私のエネルギーとなるのです。

去年も沖縄へ招いていただきました時、
車椅子で連れてこられたおばあちゃんが、
初めは立たせましても、
一歩も動けなかったのです。

その方にただ神の癒しをお願いしますと、
忽ちにして歩き出されまして、
夜になりましたら、「あのおばあちゃんが会場の中を
歩きまわっていますよ」と、
他の方が伝えてくれました。

翌日になりますと、そのおばあちゃんが走りだしたのです。
「おばあちゃん、もう大丈夫だから、
沖縄のユンタを踊って見せて下さい」と
いうことになって、上手に踊りかけますと、
すごい拍手喝采でございました。
全く動くことができなかった方が即、動いてくれるのです。



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「御垂訓」

2021-05-07 00:23:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より

               講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――心を苦しめない、
                 ご奉仕、許し


先の続き・・・

こういう生活の中に、なぜ苦しみがないのかというと、
それは喜びに満たされているからです。
人は一週間働くと、「ストレスが溜まったからそれを解消する」といって、
お酒を飲んだり、パチンコをしたりしますが、
私にはストレスなどは溜まりません。
私の今年一年間のスケジュールを組んでいただきますと、
一日として休みはありません。
三百六十五日無休でございます。

それでも、ストレスが一切溜まらないのは、
喜びに満たされているからです。
その喜びがエネルギーとなって、私に注がれるのです。
昨晩も十二時頃まで、たくさんの方が「ここが痛い」
「あそこが痛い」と言って、
お見えになっていましたので、
タバコを吸う時間もなく癒しをさせていただきました。
今朝十時にここへ来まして、
お話しの始まる直前まで、多くの方に愛の光を
送らせてもらいました。

足が痛くて両脇から支えてやっと辿り着いていただいた方が、
痛みがなくなって「もう一人で歩けます」と言って、
今も喜びを伝えにきて下さいました。
その方は、今、一番前の席に坐っていただいておりますね。
「いかがでございますか、大丈夫ですか」とか、
「ああ、トイレに一人で行ってくれましたか、よかったですね」と、
お話しするこの喜びは、
ご本人も嬉しいと思いますけれど、
私のほうが余計に嬉しいのです。
泣いてその喜びを与えていただきます。



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「御垂訓」

2021-05-06 01:18:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

             講演、四

  「皆様も私のように生きて下さい」――
              心を苦しめない、ご奉仕、許し


今の私は、もう腹の立つことなどは一切ありません。
愚痴を言うこともありません。
恨みもなければ、憎しみありません。
全く安らかです。
そして行為として、「たださせていただくのみ」で、
一切の報酬を求めません。
これは、どこへ行かせていただいても同じです。

「講演料を下さい」とか、治療させてもらって
「あなた、治ったからいくら出して下さい」「電車賃を下さい」など、
そういうことは口が千切れても言いません。
ただご奉仕のみで、求める心からは、一切離れております。
ですから、「私に縁ある者は幸いなり」。

なぜかというと、ただ与えるのみで、求めるものは何もないからです。
皆様も私のように生きて下さい。
私のように生きてもらった時、必ず心が安らぎ、喜びに満たされます。
身を捨てて人の為に生きることですね。

しかし、人の為ばかりでは生活できませんので、
せめて休日の土、日曜日を人様の為にさせてもらって、
自分に与えられた仕事は、月曜から金曜まで
一生懸命にいたします。
そして土、日にかけて、人様へのご奉仕をします。


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「御垂訓」

2021-05-05 00:35:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より

                講演、四

        夜、寝る前に苦しみの原因十項目の反省を


先の続き・・・

もう七、八年前になります。
「真の神への感謝を今日一日忘れなかったか、肉体をこの世に持たれ、神と
表裏一体となられた光の天使に感謝することができたか、先祖代々の諸霊の
皆様に感謝し、供養する心を忘れなかったか、両親に対して心配かけたり、
親不孝をしたりすることはなかったか、今日一日夫婦は仲良くできたか、
子供には片寄りのない豊かな愛を与えることができたか、

自分の良心を裏切らなかったか」と、
このような項目を四十余り作りまして、毎晩それを調べたのです。
このような自らの心の掃除を毎晩繰り返しまして、
それを何年間かさせていただきました。
S先生が書いて下さいました「八正道」の説明を利用させてもらいまして、
今年で七年目でございます。

七年前の一年間は三百六十五日、毎晩坐って反省しました。
当初は二、三人で始めましたのが、今では、多い時は四十人から来られて、
いっぱいになっております。
一昨年までは毎晩でしたが、去年から週に三日坐らせてもらっています。
心の苦しみの原因を作らないようにと思って、ずっと続けておりますと、
知らない間に心が安らいできます。
毎晩毎晩同じことをして、「今日一日腹を立てなかったか」と調べておりますと、
私のようなものでも、もう腹を立てるにはアホらしくなってきます。


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「御垂訓」

2021-05-04 00:10:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
        恩師のご著書「講演集」より

                 講演、四

       夜、寝る前に苦しみの原因十項目の反省を


常に私たちは、反省を通して、もし過ちがあれば悔い改めることですね。
夜寝る前に、せめて今日一日の自分の生活はどうであったか、苦しみの
原因である十項目余りの心の作用を一度調べてみて下さい。

「今日一日腹を立てなかったか、愚痴を言わなかったか、人を謗らなかった、
人の悪口を言わなかったか、要らぬ不安恐怖に振り回されなかったか・・・」
と、一つ一つ点検し、もし何か反したものがあれば、
「明日の生活に繰り返さないようにします。神様どうぞ私を導いて下さい。
明日の生活に正して参ります」と誓って悔い改めることです。

そして翌日過ごさせてもらってから、又、寝る前に自分を見つめて下さい。
そのようにしますと、夜も大変よく眠るようになり、
翌朝はすばらしい目覚めが頂けるようになります。
なぜかというと、心の錘が取れるからです。
今日一日の心の荷物を捨てることができるのですね。
ですから、心はやすらぎます。



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「御垂訓」

2021-05-03 00:10:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

            講演、四

        死に際して、私たちが救われるには


先の続き・・・

しかし、そのように亡くなった方の意識に
お話しをさせていただきますと、
ほとんど全部の方の肉体の硬直はすぐ解けます。
自分の過去を悔い改めた時に許されるのですね。
この「正しい法」が、いかに有難いかを分からせてもらいます。

九十歳の或るおばあちゃんは、自分の子供たちからさえ、
「死んだら地獄ゆきだ」と確信されていましたが、
死に際して苦しんでいる耳許でテープをかけましたら、
「己が悪かった、自分が悪かった」と言って泣き叫んで、
「神様かんにんして下さい。
おのれの生き方が間違っていました」と泣いて泣いて
詫びられたところ、それから痛みがピタッと止まったそうです。

その三日後に極楽往生なさいました。
「ありがとうございました」と言って、
安らかに亡くなられたということです。
私たちは、九十年間誤った生活をし、
自分の心を苦しめてきましても、
その死に際に心の底から悔い改めた時に、
その犯してきた罪は許されるのです。
しかし、九年間のおばあちゃんの日々は苦しかったと思います。

人を信じることができず、出すことは嫌い、貰うことは好き、
「出すものはベロを出すのも嫌い、
貰うものは余所に葬式でもほしいなあ」と、
言われていたそうです。

人の悪口は言う、嘘はつく、という人生だったと、
その息子さんが保証するのですから、間違いありませんね。
そのようなおばあちゃんでも、「己が悪かった、
神様かんにんして下さい」と
言って、心の底から悔い改めた時、
許されて大往生をなさいました。


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「御垂訓」

2021-05-02 00:07:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

            講演、四

      死に際して、私たちが救われるには


先の続き・・・

去年も三十一日の夜、大晦日でバタバタと忙しくしておりました時、
或るおじいちゃんが苦しんでおられて、
ぜひ来てほしいと言われますから、
夜九時半頃に寄せてもらったのですね。
「ああ先生、有難いです。楽にしてもらいました」と、
とても喜んでもらいました。
「心行」を家族の皆に読んで聞かせてやって下さいと言われますので、
「テープをかけて下さい。同じことですから」と言いました。

「今度はいつ来てくれますか」と言われますから、
「では、三日の夜また寄せてもらいましょう」と言って別れたのです。
ところが、二日のお昼前に「実はおじいちゃん、
今朝八時過ぎに亡くなりました」と、
電話がかかってきました。

三十一日お祓いをさせてもらって、
もう明けて二日には亡くなっているのです。
はかないものですね。

「三日には、先生ぜひ来てください」と言われ方が二日の朝には、
もうあの世へ帰られました。
「おじいちゃん、死ぬまで先生のことを言っていました」と
言われるから、又、走っていったのです。
一年前は元旦、今年はお正月二日ですから、
来年は三日になるのかと思っています(笑い)。


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