はじめに 日本文化の文明化とは何か
平成23年3月に東日本大震災が起こった。私は、その時に日本橋のある高層ビルの中に居た。異常に長い地震がおさまった後に、帰宅を急いで地下鉄の駅に向かったが、勿論全線不通であり、そのまま地下道をとおって日本橋の三越に向かった。そこでなら安全に時間が過ごせると思ったからだ。それから大きな余震が起こり、その度に場内放送は、適切な指示を客と従業員に知らせていた。非常事態にあたっての準備がきちんとできているとの印象を受け、日本の優れた百貨店文化を感じた。
東京大学の工学系教官が震災直後にワーキンググループを作り、それから3ヵ月後に緊急に学生その他に示した文書が出された。この様な事態に直面して改めて工学の在り方を纏めたものである。「震災後の工学は何をめざすのか」、東京大学大学院工学系研究科緊急工学ビジョン・ワーキンググループ、平成23 年5 月9 日発行(全27P)(註1) は、特に目新しいものではなかったが、その中で「社会への実装・普及」にまで言及しているところが、一歩進んでいるように読み取れた。しかし、その中の次のような記述に疑念が湧いた。
「学問の領域が伝統的な一つの基盤工学のディシプリンに収まらずに、複数の学問領域が融合したり複合しあってできる新たな学問領域のことを意味します。そして、一度確立した学際領域や複合領域は自立して総合工学として発展していくものもあります。例えば、原子力工学は半世紀前に学際研究として誕生し、その研究対象であった原子力発電システムは巨大複雑系システムに発展し、原子力工学は学際化した巨大複雑システムの工学として進化してきました。」私はこの文章を読んで、まず現在の学際とか連携とかに物足りなさを感じた。米国では、Converging Technologyと称して、イノベーションなど実社会に貢献を始めているのだが、日本の学際については、多くの学会で長期間叫ばれはているが、大きな成果が出たことはあまり聞かない。そんなときに、ある学際的な学会で高名なパネラーの一人が「私は自然科学者なので、社会科学者や人文科学者の言葉が良く分からない」との発言を聞いた。考えてみると、大学の工学部ではそのような教育は皆無であり、大学院ではなおさらのことだった。そして福島原発の事故から、前述の「原子力工学は半世紀前に学際研究として誕生し、その研究対象であった原子力発電システムは巨大複雑系システムに発展し、原子力工学は学際化した巨大複雑システムの工学として進化してきました」が、社会システム全体としての考え方の面で不十分であったことが明らかとなった。つまり、このことは総合工学として誕生したものが、いつの間にか社会的には総合ではなくなっていたことを意味している。
一方で、メタエンジニアリングは自然科学者である工学者や技術者が、その工学脳を用いて、社会科学や人文科学の領域にまで入り込んで「潜在する問題の発見」を第1段階とすることを明示している。そして、その問題に対しては、学際や連携から更に進んで,ひとつの個人、一つの組織などの統合化されたなかで積極的に新たな思考をはじめ、かつ纏めることを明示している。
現代社会におけるものごとは全てが複雑化の傾向にある。そのなかにあってエンジニアリングは基本的な計画から詳細な設計に至るまで深くかかわりがあるケースが多い。それどころか、かつて20世紀最大のドイツの哲学者ハイデッガーが「技術論」で述べたように、更に大きな責任を背負っているのである。
「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」
21世紀は人類文明の危機であると云われ始めているが、文明の危機から救うものは何であろうか。前述の言葉を介せば、それもまた技術であろう。少なくとも、経済や政治や宗教のみで救えるものではない。すべてに、技術すなわちエンジニアリングが具体的、かつ主導的な役目を果たすことになるであろう。
文明は、複数の優れた文化の中から生まれてくると思われる。そこで、メタエンジニアリングという考え方から、優れた日本文化の文明化の糸口を探ってゆきたいと考えた。
昨年、「根本的エンジニアリングで考える日本文化の文明化」(全101頁)という小冊子をまとめた。目次は以下である。
序章 Meta-Engineering, 新しい工学への考え 9
第1章 文化の文明化とはなにか 18
第1節 根本的エンジニアリングの二つの方向
第2節 根本的エンジニアリングと文化の文明化
第3節 すぐれた日本文化の文明化と根本的エンジニアリング
第4節 文化に対する根本的エンジニアリングの役割
第5節 すぐれた日本文化の文明化
第6節 もう一つの方向
第7節 根本的エンジニアリングの価値
第2章 日本文化の文明化という課題 53
第1節 日本の品質文化について
第2節 日本のハイブリッド文化について
第3節 日本の省エネ文化について
第3章 文明の衰退と根本的エンジニアリング 64
第1節 ヴェネチアの衰退からの教え
第2節 現代デジタル文化は文明の衰退か
第3節 環境問題と根本的エンジニアリング
おわりに 89
附録 その場考学的サイクル論 90
これらに加筆・訂正を加えて、このカテゴリーを進めてゆこうと思う。
(註1)
この提言書は、その後大幅に追記をされて書籍として発行された。
「震災後の工学は何をめざすのか」東京大学大学院工学系研究科 編、内田老鶴圃(1972)
平成23年3月に東日本大震災が起こった。私は、その時に日本橋のある高層ビルの中に居た。異常に長い地震がおさまった後に、帰宅を急いで地下鉄の駅に向かったが、勿論全線不通であり、そのまま地下道をとおって日本橋の三越に向かった。そこでなら安全に時間が過ごせると思ったからだ。それから大きな余震が起こり、その度に場内放送は、適切な指示を客と従業員に知らせていた。非常事態にあたっての準備がきちんとできているとの印象を受け、日本の優れた百貨店文化を感じた。
東京大学の工学系教官が震災直後にワーキンググループを作り、それから3ヵ月後に緊急に学生その他に示した文書が出された。この様な事態に直面して改めて工学の在り方を纏めたものである。「震災後の工学は何をめざすのか」、東京大学大学院工学系研究科緊急工学ビジョン・ワーキンググループ、平成23 年5 月9 日発行(全27P)(註1) は、特に目新しいものではなかったが、その中で「社会への実装・普及」にまで言及しているところが、一歩進んでいるように読み取れた。しかし、その中の次のような記述に疑念が湧いた。
「学問の領域が伝統的な一つの基盤工学のディシプリンに収まらずに、複数の学問領域が融合したり複合しあってできる新たな学問領域のことを意味します。そして、一度確立した学際領域や複合領域は自立して総合工学として発展していくものもあります。例えば、原子力工学は半世紀前に学際研究として誕生し、その研究対象であった原子力発電システムは巨大複雑系システムに発展し、原子力工学は学際化した巨大複雑システムの工学として進化してきました。」私はこの文章を読んで、まず現在の学際とか連携とかに物足りなさを感じた。米国では、Converging Technologyと称して、イノベーションなど実社会に貢献を始めているのだが、日本の学際については、多くの学会で長期間叫ばれはているが、大きな成果が出たことはあまり聞かない。そんなときに、ある学際的な学会で高名なパネラーの一人が「私は自然科学者なので、社会科学者や人文科学者の言葉が良く分からない」との発言を聞いた。考えてみると、大学の工学部ではそのような教育は皆無であり、大学院ではなおさらのことだった。そして福島原発の事故から、前述の「原子力工学は半世紀前に学際研究として誕生し、その研究対象であった原子力発電システムは巨大複雑系システムに発展し、原子力工学は学際化した巨大複雑システムの工学として進化してきました」が、社会システム全体としての考え方の面で不十分であったことが明らかとなった。つまり、このことは総合工学として誕生したものが、いつの間にか社会的には総合ではなくなっていたことを意味している。
一方で、メタエンジニアリングは自然科学者である工学者や技術者が、その工学脳を用いて、社会科学や人文科学の領域にまで入り込んで「潜在する問題の発見」を第1段階とすることを明示している。そして、その問題に対しては、学際や連携から更に進んで,ひとつの個人、一つの組織などの統合化されたなかで積極的に新たな思考をはじめ、かつ纏めることを明示している。
現代社会におけるものごとは全てが複雑化の傾向にある。そのなかにあってエンジニアリングは基本的な計画から詳細な設計に至るまで深くかかわりがあるケースが多い。それどころか、かつて20世紀最大のドイツの哲学者ハイデッガーが「技術論」で述べたように、更に大きな責任を背負っているのである。
「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」
21世紀は人類文明の危機であると云われ始めているが、文明の危機から救うものは何であろうか。前述の言葉を介せば、それもまた技術であろう。少なくとも、経済や政治や宗教のみで救えるものではない。すべてに、技術すなわちエンジニアリングが具体的、かつ主導的な役目を果たすことになるであろう。
文明は、複数の優れた文化の中から生まれてくると思われる。そこで、メタエンジニアリングという考え方から、優れた日本文化の文明化の糸口を探ってゆきたいと考えた。
昨年、「根本的エンジニアリングで考える日本文化の文明化」(全101頁)という小冊子をまとめた。目次は以下である。
序章 Meta-Engineering, 新しい工学への考え 9
第1章 文化の文明化とはなにか 18
第1節 根本的エンジニアリングの二つの方向
第2節 根本的エンジニアリングと文化の文明化
第3節 すぐれた日本文化の文明化と根本的エンジニアリング
第4節 文化に対する根本的エンジニアリングの役割
第5節 すぐれた日本文化の文明化
第6節 もう一つの方向
第7節 根本的エンジニアリングの価値
第2章 日本文化の文明化という課題 53
第1節 日本の品質文化について
第2節 日本のハイブリッド文化について
第3節 日本の省エネ文化について
第3章 文明の衰退と根本的エンジニアリング 64
第1節 ヴェネチアの衰退からの教え
第2節 現代デジタル文化は文明の衰退か
第3節 環境問題と根本的エンジニアリング
おわりに 89
附録 その場考学的サイクル論 90
これらに加筆・訂正を加えて、このカテゴリーを進めてゆこうと思う。
(註1)
この提言書は、その後大幅に追記をされて書籍として発行された。
「震災後の工学は何をめざすのか」東京大学大学院工学系研究科 編、内田老鶴圃(1972)