その場考学との徘徊(49) 題名;秋の三都徘徊(その3)
場所;大阪府 年月日;H30.11.13
テーマ;温泉旅館の立地条件 作成日;H30.11.25 アップロード日;H30.11.28
TITLE: 伏尾温泉の朝
京都駅で仲間21人と待ち合わせ、すぐにチャーターした観光バスで京都市内見物。夕暮れどきに大阪方面に向かった。今夜の宿は、大阪府内の伏尾温泉と聞いている。全く土地勘がなく、翌日は神戸方面なので、その中間あたりだろうとしか考えていなかった。
バスは、京都南ICから高速に入った。大阪空港から来るときに通ったルートだ。途中から新東名高速に入ったようだ。どうやら新しい道らしい。辺りが暗くなった時に、巨大なインターチェンジを降りた。いく重にもとぐろを巻いたインターだった。あとで調べると、「簑面とどろみIC」とある。そこから渓流沿いの曲がりくねった山道を進んだ記憶だ。
地図を調べると、こんな具合だ。右の高速から入り、左の一般道に出たのだが、地図を見てもルートが分からない。少なくともループ橋を2回転はしていると思う。
また、周りの地形図はこんなもので、なんと4つのゴルフ場に囲まれている。いずれも山岳コースのようだ。
翌朝、バスが走り始めてわかったのだが、小さな丘を越えると、巨大な団地がある。温泉宿としては、面白い立地だ。
宿の前の道は、私の所有する少し古い大阪府の地図には摂丹街道と記されており、山間部の曲がりくねった道沿いに小さく「伏尾」の名がある。勿論温泉のマークはない。
Wikipediaには次のように紹介されている。
『伏尾温泉は、大阪府池田市伏尾町にある温泉。客席数は70。北摂山系の五月山より余野川沿いに北上した川岸に位置する一軒宿の温泉である。1967年(昭和42年)にボーリングにより湧出する。源泉は2箇所。大阪市内から車で30分の“大阪の奥座敷”というキャッチコピーがある。
建物は鉄筋8階建てで、和室や洋室などの客室の他、多目的ホール、ゲームコーナー、会議室などがある。浴場は4階にあり、男女同じ造りになっている。
温泉は天然ラジウム泉。ぼたん鍋が食べられるプランがある。その敷地の広さから、観光バスの受け入れも可能ということもあり、団体客の利用が多い。また2003年からは0泊2食の日帰りプランを導入しており、日曜を中心に利用があるという。インバウンド増大に伴い、外国客の受け入れも積極的に行っている。高校野球シーズンの春・夏には、複数の甲子園出場校の宿泊旅館として、利用されている。』
比較的新しい温泉で、どうやら、高校野球の宿泊旅館ということらしいが、ここに泊れる高校球児は幸せだ。
また、旅館のH.P.(https://www.fushioukaku.co.jp/blog/?p=119)にはこのように書かれている。
昭和38年、「伏尾の鮎茶屋」に鉄筋コンクリート5階建ての新館が誕生。政府登録国際観光旅館の認可も受けて新たなスタートを切った。先代・夘一郎が昭和8年に始めた料亭“鮎茶屋”、その跡を継いで旅館にした二代目社長・岡本直文(現会長)の大きな夢が実現したのであった。
直文は考えた。「せっかく鉄筋にしたのに“鮎茶屋”ではイメージがあまりにも小さいではないか」その時、当時・伏尾の地名の由来を思い出す。
時は平安末期、地元の古刹・久安寺に徳の高い和尚・賢実上人がいた。天皇より厚い信頼を賜る賢実上人は、皇后ご懐妊の折り宮中の名により安産を祈願。その甲斐あって元気な皇子(後の近衛天皇)が誕生する。以来、この地は不死王村と呼ばれるようになり、後に転じて伏尾村になったという。
「不死王つまり“死なない王様”とは縁起がいい。地名にまつわる縁もある。一回見たら忘れへん名前や。これでいこう」かくして不死王閣の屋号が誕生した。 (中略)
温泉を引き込む大浴場の工事は、昭和45年、大阪万博開催の年に完成を見る。
泊まった次の週に2025年の大阪万博が決まった。55年ぶりという。何かの縁を感じる。私自身S45年は大学院を修了して就職をした年なのだが、一人で車を運転して大阪万博の見物に出かけた記憶がある。
朝の温泉は6時から、待ちきれずにはいると、すでに先客がいた。部屋に戻ると、やや薄いが、朝焼けの空を見ることができた。
朝食は7時から。バイキングなのだが、目の前に大きな蒸篭があった。シュウマイにしては大きいと思ったが、開場までは開けられない。
始まると同時に、皆さんは所定のバイキングの料理を順序良く取り上げていたが、私は蒸篭が気になり、そちらを開けてみた。なんと、京野菜を中心にした蒸し野菜だった。これは体によさそうだ。こちらを目いっぱいよそってから、列に並んだ。
食事の後は朝の散歩。目の前は清流で赤い橋が架かっている。上流には小さな滝も見える。少し登ってみることにした。
直ぐに、「彩あいの小径」という看板が目に入り、そちらに進んだ。道は、小さな峠に向かっている。あとで知ったが、その先は大きな団地があるのだ。中学の制服を着た男の子が、もくもくと登って行った。
少し歩くと、見晴らしの良い場所に出た。昨夜バスが走った方向なのだが、様々な紅葉が美しい。眼下に、8階建てのホテルの全貌を確かめることもできる。
団地のすぐ近くなのだが、山間の清流に沿った静かな立地であり、団地を抜けると高速道路に入り、大阪空港の真横を通った。なんとも便利な立地条件なのだった。
場所;大阪府 年月日;H30.11.13
テーマ;温泉旅館の立地条件 作成日;H30.11.25 アップロード日;H30.11.28
TITLE: 伏尾温泉の朝
京都駅で仲間21人と待ち合わせ、すぐにチャーターした観光バスで京都市内見物。夕暮れどきに大阪方面に向かった。今夜の宿は、大阪府内の伏尾温泉と聞いている。全く土地勘がなく、翌日は神戸方面なので、その中間あたりだろうとしか考えていなかった。
バスは、京都南ICから高速に入った。大阪空港から来るときに通ったルートだ。途中から新東名高速に入ったようだ。どうやら新しい道らしい。辺りが暗くなった時に、巨大なインターチェンジを降りた。いく重にもとぐろを巻いたインターだった。あとで調べると、「簑面とどろみIC」とある。そこから渓流沿いの曲がりくねった山道を進んだ記憶だ。
地図を調べると、こんな具合だ。右の高速から入り、左の一般道に出たのだが、地図を見てもルートが分からない。少なくともループ橋を2回転はしていると思う。
また、周りの地形図はこんなもので、なんと4つのゴルフ場に囲まれている。いずれも山岳コースのようだ。
翌朝、バスが走り始めてわかったのだが、小さな丘を越えると、巨大な団地がある。温泉宿としては、面白い立地だ。
宿の前の道は、私の所有する少し古い大阪府の地図には摂丹街道と記されており、山間部の曲がりくねった道沿いに小さく「伏尾」の名がある。勿論温泉のマークはない。
Wikipediaには次のように紹介されている。
『伏尾温泉は、大阪府池田市伏尾町にある温泉。客席数は70。北摂山系の五月山より余野川沿いに北上した川岸に位置する一軒宿の温泉である。1967年(昭和42年)にボーリングにより湧出する。源泉は2箇所。大阪市内から車で30分の“大阪の奥座敷”というキャッチコピーがある。
建物は鉄筋8階建てで、和室や洋室などの客室の他、多目的ホール、ゲームコーナー、会議室などがある。浴場は4階にあり、男女同じ造りになっている。
温泉は天然ラジウム泉。ぼたん鍋が食べられるプランがある。その敷地の広さから、観光バスの受け入れも可能ということもあり、団体客の利用が多い。また2003年からは0泊2食の日帰りプランを導入しており、日曜を中心に利用があるという。インバウンド増大に伴い、外国客の受け入れも積極的に行っている。高校野球シーズンの春・夏には、複数の甲子園出場校の宿泊旅館として、利用されている。』
比較的新しい温泉で、どうやら、高校野球の宿泊旅館ということらしいが、ここに泊れる高校球児は幸せだ。
また、旅館のH.P.(https://www.fushioukaku.co.jp/blog/?p=119)にはこのように書かれている。
昭和38年、「伏尾の鮎茶屋」に鉄筋コンクリート5階建ての新館が誕生。政府登録国際観光旅館の認可も受けて新たなスタートを切った。先代・夘一郎が昭和8年に始めた料亭“鮎茶屋”、その跡を継いで旅館にした二代目社長・岡本直文(現会長)の大きな夢が実現したのであった。
直文は考えた。「せっかく鉄筋にしたのに“鮎茶屋”ではイメージがあまりにも小さいではないか」その時、当時・伏尾の地名の由来を思い出す。
時は平安末期、地元の古刹・久安寺に徳の高い和尚・賢実上人がいた。天皇より厚い信頼を賜る賢実上人は、皇后ご懐妊の折り宮中の名により安産を祈願。その甲斐あって元気な皇子(後の近衛天皇)が誕生する。以来、この地は不死王村と呼ばれるようになり、後に転じて伏尾村になったという。
「不死王つまり“死なない王様”とは縁起がいい。地名にまつわる縁もある。一回見たら忘れへん名前や。これでいこう」かくして不死王閣の屋号が誕生した。 (中略)
温泉を引き込む大浴場の工事は、昭和45年、大阪万博開催の年に完成を見る。
泊まった次の週に2025年の大阪万博が決まった。55年ぶりという。何かの縁を感じる。私自身S45年は大学院を修了して就職をした年なのだが、一人で車を運転して大阪万博の見物に出かけた記憶がある。
朝の温泉は6時から、待ちきれずにはいると、すでに先客がいた。部屋に戻ると、やや薄いが、朝焼けの空を見ることができた。
朝食は7時から。バイキングなのだが、目の前に大きな蒸篭があった。シュウマイにしては大きいと思ったが、開場までは開けられない。
始まると同時に、皆さんは所定のバイキングの料理を順序良く取り上げていたが、私は蒸篭が気になり、そちらを開けてみた。なんと、京野菜を中心にした蒸し野菜だった。これは体によさそうだ。こちらを目いっぱいよそってから、列に並んだ。
食事の後は朝の散歩。目の前は清流で赤い橋が架かっている。上流には小さな滝も見える。少し登ってみることにした。
直ぐに、「彩あいの小径」という看板が目に入り、そちらに進んだ。道は、小さな峠に向かっている。あとで知ったが、その先は大きな団地があるのだ。中学の制服を着た男の子が、もくもくと登って行った。
少し歩くと、見晴らしの良い場所に出た。昨夜バスが走った方向なのだが、様々な紅葉が美しい。眼下に、8階建てのホテルの全貌を確かめることもできる。
団地のすぐ近くなのだが、山間の清流に沿った静かな立地であり、団地を抜けると高速道路に入り、大阪空港の真横を通った。なんとも便利な立地条件なのだった。