生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(99)「サピエンス異変」と「ハイデガーの技術論」

2019年01月09日 14時44分46秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(99)「サピエンス異変」と「ハイデガーの技術論」
                 
書籍名;「サピエンス異変」 [2018] 
著者;ヴァイバー・クリガン=リード 発行所;飛鳥新社
発行日;2018.12.31

初回作成日;H30.12.31 最終改定日;H31.1.3
引用先;文化の文明化のプロセス Converging



このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です


この書を読んだのは、まさに発行日(H30.12.31)その日だった。平成の終わりが決定した年の年末に相応しい内容に思えて、発刊間もない書を敢えて選んだ。まさに、メタエンジニアリングの必要性を強く感じたからだ。
 発刊間もないので、敢えて本文からの引用は避けることにする。

中身は人類史を5つの時代に分けている。
紀元前800万年~紀元前3万年、紀元前3万年~西暦1700、西暦1700~1910、西暦1910~現在、未来の大区分だ。ヒト族は、この時代の区切りで、大きな技術的な変化を遂げて、現代文明を築いた。しかし、ヒト族はその99%以上の期間を狩猟・採取生活で過ごし、それに適した体になっている。従って、農耕文明も機械文明も本来の身体には適していない。体の進化は、文明の進化に追いつくことはできずに、様々な病気が蔓延しつつある、というわけだ。
 
例えば、最初の「紀元前800万年~紀元前3万年」は、このようなことになっている。
 ・1000万年前に「ヒト科」が分化。
 ・800万年前に「ヒト族」がチンパンジーやゴリラから分化。
 ・190万年前に「ホモ属」が分化、長距離二足歩行が可能に。「長距離移動」で進化が始まった。
 ・30万年前に「ホモ・サピエンス」が出現し、現在に至る。
 ・「靴」の発明は、長距離移動を可能にしたが、靴は足に目隠しをして感覚を遮断した。
 ・テクノロジーの進歩で、ヒトの骨はどんどん薄くなっている。

 おまけに現代人は、数十億年単位で代わる地層年代までも変えてしまった。新たな「人新世」という地層は、放射性同位体、リン酸塩、窒素、マイクロプラスチックなどで満たされている、というわけである。
地層年代を超えて、動物の種が生き残るのは難しい。ちなみに現代は、250万年続いた「更新生」に続く「完新世」という地層になっているそうだ。

「エピローグ」で、突然にハイデガーの技術論が出てくる。要約すると、以下のようになっている。

・マルティン・ハイデガーは、現代性と現代生活について著したもつとも重要な哲学者の一人で、私たちとテクノロジーとの関係性、テクノロジーが生み出した世界、そしてそれによる人間の変化を、かなりの精力を注いであきらかにしようとした。
・ハイデガーの関心は、テクノロジーに基づく考え方や信念が人間性に組みこまれてしまった経緯である。
・ハイデガーは、テクノロジーにより自分は世界の一部であるという考え方でなく、世界を利用しているのだという考え方が優勢になってしまったとした。
・そしてテクノロジーが私たちの思考や考え方全体に雲のように広がって、未来に入りこんでくる。
・彼は、産業革命が私たちと身の回りの世界との関係性を変えてしまったことに対しては、懸念を抱いていた。
・ハイデガーが考えるところ、産業革命後にこの世界は、いわば尽きることのないエネルギー貯蔵庫 に変わってしまった。
・テクノロジーは生きるための手段で、自然は現代的なプロジェクトにのみ費やされるエネルギーの貯蔵庫である。

しかし、これらの表現はハイデガーの技術論を軽く考えているように私には思えた。技術(すなわちテクノロジーやエンジニアリング)は、もっと人間にとって恐ろしいもので、人間自身はそこから逃れることはできない。そのことは、加藤尚武編の「ハイデガーの技術論」理想社[2003]に書かれている。 


                                                              
 加藤氏は、いわゆる哲学の京都学派の重鎮で、日本哲学会の委員長も務められたが、同時に原子力委員会の専門委員も務められた。「災害論―安全工学への疑問」世界思想社[2011]が有名である。その中では、「ハイデッガーの技術論」に関連して、『危険な技術を止めようというのは短絡的。今やるべきなのは多様な学問分野から叡智を結集し、科学技術のリスクを管理する方法を考えることだ』、『合理主義が揺らぐ中で科学のありようが問われているだけではない。哲学もまたどうあるべきかを問われている』などが述べられている。つまり、現代哲学者の眼から見た、ハイデガー技術論の評価になっている。

最初に、「技術論」の特徴を次のように要約している。

『① 機械にたいして、たんに人間が主体性を、個人が自立性を取り戻すだけでは不十分で、同時にその人間が本来性を取り戻すのでなければならない。
 ② 特定の人間や階級が、姿のない匿名性、非人格性を通じて、多数の人間を自分たちの利潤追求の手段とし、監視し、支配するのではなくて、その支配者もまた徴発性という形のない仕組みの奴隷となっており、一つの時代の文化、社会、人間が全体として人間存在の真実を喪失している。
 ③ 人間が自己を喪失して機械の部品となり、技術が自然の持つ奥深い真理性を破壊するのは、西洋とその影響を受けた文化全体の根本にかかわる大きな歴史的運命のなかの出来事であり、何らかの作為で解決がつく問題ではない。』(pp.23)

 そして、『これが、技術道具説、技術中立説の基本認識である。ハイデガーはこれに対して、社会文化全体が「総とりたて体制」「収奪性」「徴発性」という潜在的な集団心性にもとづく、体制化された自己忘却を作り出しているのであって、その全体的な文脈は個別的な行為のなかに、実証可能な形で内在している物ではないということを指摘する。
(中略)ところが、そこに同時に、逆転の可能性がひそんでいる。危機が危機として明らかになるとき、危機は転換期の到来をもたらすのである。自己欺瞞が自己欺瞞であることを露にすることによって、逆転が生ずる。』(pp.36)
それに続き、「3.徴発性は、歴史的なめぐりあわせのなかで、変化する宿命をもっている」として、最後に「技術論の理論的問題点」のなかで、現代の生産方法や生産体制は、ハイデガーの技術論が当てはまらないとしている。それは、「技術に対する技術的な対応」に現れているという。すなわち、地球温暖化対策としての化石燃料消費の抑制や、コンピュータ・ウイルス対策などである。
 
そして、『本当は、愚かな指導者達の手で地球が難破に導かれるという「愚者の船」の運命こそ、現在の歴史の姿ではないかと、私は恐れている。』 (pp.171)と結んでいる。しかし、この「愚者の船」の最大に危機は、第2次世界大戦中の原子爆弾開発競争であり、それはまさにハイデガーが技術論を語るきっかけになったことを思うとき、彼の時代と現代とは同じ技術論が当てはまるように、私には思える。

つまり、現代でもなお、原子爆弾に相当するような人類の文明をひっくり返すようなことが、イノベーションとして世界中に蔓延している。例えば、スマホ中毒による思考能力の減退や、遺伝子組み換えによる人造人間などは、一世紀後には、かなりな変化を人体におよぼすことになるであろう。技術革新の加速と共に、「サピエンス異変」も加速的に進んでいる。