メタエンジニアの眼シリーズ(103) TITLE: 「文学部廃止の衝撃」
書籍名;「文学部廃止の衝撃」 [2016]
著者;吉見俊哉 発行所;集英社
発行日;2016.2.22
初回作成日;H31.1.18 最終改定日;H31.1.19
引用先;文化の文明化のプロセス Converging
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
著者は東大副学長を務めた社会学者で都市論、メディア論が有名。2015.6.8に出された「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が巻き起こした「文学部廃止論」についての内外の反応と著者の意見を記しているのだが、この考えは、正に「メタエンジニアリング」そのものだった。
先ずは、経済界を含むメディアの過剰反応例を挙げている。
『比較的産業界寄りの立場にある日経新聞も、七月二九日付けの社説「大学を衰弱させる『文系廃止』通知の非」で、通知を「『すぐに役に立たない分野は廃止を』と解釈できる不用意なものだ」とし、「撤回すべき」と迫りました。この社説でもうーつ着目すべき点は、見出しで通知を「文系廃止」と要約しており、八月二三日付けの産経新聞の「国立大学改革の一環として通知された『文系学部廃止』は是か非か」という記事同様、当初の報道と違い、「文系学部 廃止」がさも既定の路線であるかのようにみなしていることです。つまり、メディアにおいて 火のないところに煙が立ち、煙が本当の火になっていくかのような現象が起こったと言えます。』(pp.16)
さらに、海外メディアについても、
『自然科学や職業訓練といった産業界寄りの教育プログラムを強化するために、日本のリベラルアーツ教育は縮小されていく運命にある、として、さらに安倍政権における日本の経済成長プランを推進するための重要な政策の一部である、と続けています。このような海外メディアの報道により、「日本政府は『文系学部廃止』という、大学に対する一種の『焚書坑儒』をしようとしている」という情報が世界的に広がっていくことになりました。』(pp.17)
つまり、海外では「リベラルアーツ」という言葉に置き換えている。これは日本の教育に対する根本的な批判だと思う。なぜ日本では、大学院教育で「リベラルアーツ」が軽視され続けるのだろうか。
文学部廃止論は、すぐに収まったが、もっと大きな問題があるのだが、そのことは日本国内では無視され続けている。それは、次のようなデータが示されているが、他の先進国との歴然とした差には驚かされた。
『日本の大学における二十五歳以上の入学者が占める割合はわずか二%、世界の先進諸国でこれほど年長者の割合が低い国はありません。たとえば、スウェーデン、フィンランド、 ノルウェー、スイス、ォーストラリア、それに 米国は、二五%前後、およそ大学生の四人に一人が二五歳以上です。イギリスは約二〇%、ドイツは約十五%が二五歳以上ですから、どんな少人数クラスでも数人は年長の学生がいるわけです。韓国でも、約十八%の大学生が二五歳以上で、学生の年齢構成は日本よりもずっと多様です。』(pp.190)
つまり、「日本の大学生は年齢的に異様なほど同質的で、この同質性が多くの慣習をつくっている」、というわけである。
私は、このことが日本の大学教育とそれに続く企業の新卒者優遇慣行に繋がる悪しき慣習と、現役時代から思い続けている。GE,PWA,RRの技術者の採用方法や社内教育制度を見ての上だった。
『大学に入学すると、まるで双六のように一年生から二年生、三年生、四年生へと順番に進み、卒業に至る。ですから、たった一年の差でも「先輩」「後輩」関係が比較的はっきりしており、先の段階に進めなかった者は「留年」扱いとなる。 このように「学年」で壁を作る仕組みは、社会にあっても「年齢」と「立場」を対応させる思考に結びつき、年功序列的な傾向を助長します。』(pp.191)
このことに関連して、著者は、「時間差での宮本武蔵の二刀流を育てる」ことを勧めている。つまり、異分野の成人教育である。
『その二回目以降に学ぶ分野で選ばれるのは、純粋な理系よりも文系、または文理融合系の分野のほうが多いだろうと想像できます。最初に工学を学び、二度目に法学を学ぶ。最初に生物学を学び、二度目にアジアの地域研究を学んでいく。最初にコンピュータ・サイエンスを学び、二度目に経済学を学び、最後に哲学を学ぶ―』(pp.213)
このことは、まさにメタエンジニアリングの推奨に思えるので、下記に引用する。
『理系で生まれた技術を生かしながらも、社会的な価値とは何かを見極め、将来のビジネスや社会のデザイン、地域から国家、世界までを視野に入れて思考を深めていくのは文系の役割です。職場での経験を経て、長期的な視点で物事を見つめてみようとなったとき、現場での経験知として信じるようになったことをもう一度学間的に基礎づける、あるいはその経験知が 本当は正しくないのではないかと疑ってみるために役立つのが文系の学問なのです。』(pp214.)
「メタエンジニアリング」の「メタ」は、「ナニナニの後で」の意味であり、私の考えるメタエンジニアリングと完全に一致した考え方になっている。
書籍名;「文学部廃止の衝撃」 [2016]
著者;吉見俊哉 発行所;集英社
発行日;2016.2.22
初回作成日;H31.1.18 最終改定日;H31.1.19
引用先;文化の文明化のプロセス Converging
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
著者は東大副学長を務めた社会学者で都市論、メディア論が有名。2015.6.8に出された「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が巻き起こした「文学部廃止論」についての内外の反応と著者の意見を記しているのだが、この考えは、正に「メタエンジニアリング」そのものだった。
先ずは、経済界を含むメディアの過剰反応例を挙げている。
『比較的産業界寄りの立場にある日経新聞も、七月二九日付けの社説「大学を衰弱させる『文系廃止』通知の非」で、通知を「『すぐに役に立たない分野は廃止を』と解釈できる不用意なものだ」とし、「撤回すべき」と迫りました。この社説でもうーつ着目すべき点は、見出しで通知を「文系廃止」と要約しており、八月二三日付けの産経新聞の「国立大学改革の一環として通知された『文系学部廃止』は是か非か」という記事同様、当初の報道と違い、「文系学部 廃止」がさも既定の路線であるかのようにみなしていることです。つまり、メディアにおいて 火のないところに煙が立ち、煙が本当の火になっていくかのような現象が起こったと言えます。』(pp.16)
さらに、海外メディアについても、
『自然科学や職業訓練といった産業界寄りの教育プログラムを強化するために、日本のリベラルアーツ教育は縮小されていく運命にある、として、さらに安倍政権における日本の経済成長プランを推進するための重要な政策の一部である、と続けています。このような海外メディアの報道により、「日本政府は『文系学部廃止』という、大学に対する一種の『焚書坑儒』をしようとしている」という情報が世界的に広がっていくことになりました。』(pp.17)
つまり、海外では「リベラルアーツ」という言葉に置き換えている。これは日本の教育に対する根本的な批判だと思う。なぜ日本では、大学院教育で「リベラルアーツ」が軽視され続けるのだろうか。
文学部廃止論は、すぐに収まったが、もっと大きな問題があるのだが、そのことは日本国内では無視され続けている。それは、次のようなデータが示されているが、他の先進国との歴然とした差には驚かされた。
『日本の大学における二十五歳以上の入学者が占める割合はわずか二%、世界の先進諸国でこれほど年長者の割合が低い国はありません。たとえば、スウェーデン、フィンランド、 ノルウェー、スイス、ォーストラリア、それに 米国は、二五%前後、およそ大学生の四人に一人が二五歳以上です。イギリスは約二〇%、ドイツは約十五%が二五歳以上ですから、どんな少人数クラスでも数人は年長の学生がいるわけです。韓国でも、約十八%の大学生が二五歳以上で、学生の年齢構成は日本よりもずっと多様です。』(pp.190)
つまり、「日本の大学生は年齢的に異様なほど同質的で、この同質性が多くの慣習をつくっている」、というわけである。
私は、このことが日本の大学教育とそれに続く企業の新卒者優遇慣行に繋がる悪しき慣習と、現役時代から思い続けている。GE,PWA,RRの技術者の採用方法や社内教育制度を見ての上だった。
『大学に入学すると、まるで双六のように一年生から二年生、三年生、四年生へと順番に進み、卒業に至る。ですから、たった一年の差でも「先輩」「後輩」関係が比較的はっきりしており、先の段階に進めなかった者は「留年」扱いとなる。 このように「学年」で壁を作る仕組みは、社会にあっても「年齢」と「立場」を対応させる思考に結びつき、年功序列的な傾向を助長します。』(pp.191)
このことに関連して、著者は、「時間差での宮本武蔵の二刀流を育てる」ことを勧めている。つまり、異分野の成人教育である。
『その二回目以降に学ぶ分野で選ばれるのは、純粋な理系よりも文系、または文理融合系の分野のほうが多いだろうと想像できます。最初に工学を学び、二度目に法学を学ぶ。最初に生物学を学び、二度目にアジアの地域研究を学んでいく。最初にコンピュータ・サイエンスを学び、二度目に経済学を学び、最後に哲学を学ぶ―』(pp.213)
このことは、まさにメタエンジニアリングの推奨に思えるので、下記に引用する。
『理系で生まれた技術を生かしながらも、社会的な価値とは何かを見極め、将来のビジネスや社会のデザイン、地域から国家、世界までを視野に入れて思考を深めていくのは文系の役割です。職場での経験を経て、長期的な視点で物事を見つめてみようとなったとき、現場での経験知として信じるようになったことをもう一度学間的に基礎づける、あるいはその経験知が 本当は正しくないのではないかと疑ってみるために役立つのが文系の学問なのです。』(pp214.)
「メタエンジニアリング」の「メタ」は、「ナニナニの後で」の意味であり、私の考えるメタエンジニアリングと完全に一致した考え方になっている。